2025.09.29
先日、東京都美術館で開催されている「ゴッホ展」に行ってきました。本展は「家族がつないだ画家の夢」という副題があって、フィンセント・ファン・ゴッホを巡る家族の絆を示したところが企画として新しい視点なのだろうと思います。本展で面白かったのは義妹が管理していた作品の会計簿があったことや手紙の数々が展示されていたことでした。図録よりファン・ゴッホと家族の記録を拾います。「ファン・ゴッホが生み出す芸術は生前まったく見向きもされず、彼の絵画はたった1点しか売れず、近代における傑出した芸術家のひとりと見なされるには死後何年もかかった、という『神話』は真実ではない。しかし、それらを消し去ることはできない。わずか10年という非常に短い画業のなか、優れた革新者として成長を遂げたのはフランスで過ごしたたった4年のことで、さらにはその半分以上を南仏プロヴァンスで過ごしたことを考えれば、彼が注目されたこと自体が驚くべきことともいえる。~略~1889年4月18日、ヨーことヨハンナ・ボンゲルはテオと結婚した。結婚式のためにテオはオランダに一時帰国したが、夫妻はパリに移り、9区のシテ・ピガール8番地のアパルトマンで暮らし始めた。~略~フィンセントは1890年7月29日にオーヴェールで死去した。テオは悲しみに打ちひしがれ、この頃すでに健康を害していたが、病に倒れ、翌年1月25日に世を去った。これによりヨーとその息子は、ファン・ゴッホ兄弟が集めたコレクションと、フィンセントが制作し、彼がほかの画家に譲渡、あるいは交換しなかった作品の大半を相続することになった。」(シラール・ファン・ヒューフテン著)本展ではファン・ゴッホ美術館が所蔵する多くの作品も展示されていました。37歳で生涯を閉じたフィンセント・ファン・ゴッホを巡って、とりわけ弟テオの妻ヨーの功績によりフィンセントの名声が確立され、それが近代絵画史に影響を与えた内容が表されていました。私が中学生の頃から何度も目にしたファン・ゴッホの絵画は、こうした他者の協力によって近代絵画に足跡を残したわけで、誰かが見出さなければ埋もれてしまう結果に、正直に言えば私は複雑な心境になってしまいました。