2022.06.13
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の次の単元は、私の注目ポイントであり、本書を読む前に高村光太郎関連の書籍や荻原守衛の「彫刻真髄」を学生時代に読んでいたので、このあたりの概観は掴んでいました。その確認も込めて「2 高村光太郎と近代彫刻」をじっくり読んでいきます。気が逸る中で、敢えて本単元を前・中・後半に分けてまとめます。「光太郎が《考える人》の写真を見て感動していた頃、この写真を写したと考えられるパリの展覧会場でこの作品を直接眺めて深く心を打たれた人物がいた。後にこれが契機となって、最初志していた画家から彫刻の道に転じた荻原守衛であった。」私はこれを日本の近代彫刻の出発と考えていて、これをドラマティックな映像表現にならないものか、誰か映画に仕立てて欲しいと勝手に願っていたものでした。「一般に絵画も彫刻も一纏にして造形芸術として括られてしまう場合が多い。だが絵画と彫刻のそれぞれに関わる、われわれの感覚は、実は本質的に異なるものである。つまり絵画は視覚の芸術であるのに対して、18世紀のヘルダーの『彫塑論』以来言われてきているように、彫刻は根源的に触覚に関わる芸術だということである。」やがて日本に彫刻の概念が導入されてきます。「彫り刻むということをもって『彫刻』と考えていた当時の彫刻学科の生徒たちがまず当惑したのは、洋風彫刻を習得するための基礎として学ばされた油土と石膏というまったく新しい彫刻材料を用いての造像であった。これらの素材の新奇性もさることながら、当時の日本ではこれらの材料を調達すること自体きわめて難しい状況にあった。~略~ミケランジェロでは『彫刻』がその作品の主たるものであったのに対して、ロダンの作品の主なるものは『塑造』から出ている。『彫塑』という芸術に固有な手触りの感覚は、塑造作品においてより強く印象づけられるであろう。ミケランジェロ以後、アカデミーの伝統のうちに見失われていったのは、ロダンによって蘇ったこの根源的な触覚の表現だったといえるのではなかろうか。」荻原守衛と高村光太郎の、巨匠ロダンを巡る奇跡の出会いに感嘆するのは私ばかりではないはずです。「荻原守衛はその当初画家として芸術の道を志した。高村光太郎は仏師という伝統的な木彫の技術の継承者の家に生まれている。従来のアカデミズムという物差しでロダンを測るならば、いわゆる古典主義の規範から逸脱した極端なポーズや見た目には粗悪に見える仕上げなどから奇矯な作家というほかなかろう。だが荻原は絵画的なものとの違いに気づくことから、高村は鑿と小刀を振るって巧緻の限りを尽くした彫り物と対照的なロダンの塑造との違いに眼差しを凝らすことから、ロダンが近代において再生を目論んだ彫刻の何たるかをたちどころに悟ることができたのではなかろうか。」今回はここまでにします。