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「絶対偏差」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅵ部 沸き立つモラル」の「第三章 絶対偏差」についてまとめます。本章で「アンドレ・ブルトン伝」が終わります。つまり本章がブルトンの最晩年の記述になります。「アナロジーを刺激し、発展させること、『その代価は詩である』。(宗教の外部で)聖なるものを保護すること、『その代価は愛である』。注意深くあること、偶然起こりうることにたいして開かれていること、『その代価は自由である』。これが、ブルトンの見解の骨子となる三要素なのだった。」1965年に企画された「絶対偏差」展に関する記述がありました。「ピカソ、ヘラクレイトス、フーリエ、その他の引用を混ぜ合わせた『導入部』の中で、ブルトンは『絶対偏差』の意味と機能を指示した。それは、もろもろの習慣に対抗し、特に消費社会とは反対の行き方を主張する知的方法だった。展覧会は『別世界』の夢と驚異を人びとに提示する闘争であり、やがて時とともに、シュルレアリスムが痛いところをついていたことを人びとは理解するようになるだろう。ヘラクレイトスによれば、絶対的隔たり〔=偏差〕は『弓や竪琴のような…対立する張力の調和』として理解される。精神がアナロジーによって両極端に橋を投げかける時、その代価として詩が生まれるのだ。」エロティシズムについて書かれた箇所がありました。「『何故ならば、人びとはおそらく決着を急ぐ気持ちから、エロスの覆いをはがし、必要な用心をしなかったために、夢が織りなされる場所さえも汚してしまったからである。ここで再び重要なのは、あらわにされたものの全てが何らかのやり方で再びおなじように覆われることを求める、秘教的な原則に事態を委ねることである。この再度の歪曲の犠牲者となるのは詩だけであるように、私には思われる』と、ブルトンは1964年12月に、ギィ・デュミュールに説明した。この命題の完璧な例は、デュシャンの『〔彼女の独身者によって裸にされた〕花嫁』だろう。」1966年9月28日になり「明け方の6時30分、アンドレ・ブルトンは娘オーブ〔夜明けを意味する名〕の腕の中で息をひき取った。彼の死亡通知には、つぎのような記載があるだけだった。『アンドレ・ブルトン1896ー1966年、私は時の黄金を探す。』この言葉は『現実僅少論序説』〔1929年〕からとられたものだった。」