2024.05.22
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「或る年表への注釈」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。この単元では日本の近代美術を取り上げていて、瀧口流の切り口に興味を感じました。「日本の近代美術発達史を見ようとする場合、『二科』と『独立』という二つの展覧会史の消長で抽象されると考えられるかもしれない。事実、24年も継続した二科は、周囲のあらゆる変化と激動にもかかわらず生き残ったという印象を与えている。(本稿は1939年に書かれています。)~略~『独立』の意義はたしかに、概念的にフォーヴィスムとして代表されたように、絵画・自我の主張にあった。そしてこの会の成立の直接的動機は同じく『二科』に即している。」次に登場するのは村山知義で、私も著書「構成派研究/現在の芸術と未来の芸術」(本の泉社)を既読しています。「震災前年頃に村山知義氏がドイツから帰っている。氏がダダ、未来派、絶対派、表現派、構成派等の渦巻く欧州大戦後の画壇を駆けめぐってきた過程は、『美術の通った路』という短い一文のうちにも興味深く読まれる。おそらく震災前において、これら戦後美術は氏によってはじめて体系的に、しかも若い世代の主張として紹介されたものと考えられる。」(ここでいう震災とは関東大震災です。)「過去の構成派的抽象主義者には、たとえばモンドリアン的なネオ・プラスティシスムやさらにハンス・アルプなどの要素は見出されなかった。そして多くは彼らの主張にもかかわらず、平面的な『デコレーション』に終わった観がある。この場合、当時の構成主義者が、立体派固有の造形意識の把握を通過していなかったこと、また大震災のような災害が、彼らの形成力を洗練させるだけの余裕を与えなかったことなどが考えられる。しかしもっとも本質的な理由としては、当時の日本の文化的ないしは社会的な段階が、それらを摂取しうるほどに成熟していなかったことであろう。」今回はここまでにします。