2024.06.19
先日「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)を読み終わって、私はまだ瀧口ワールドに浸りたくなっていたため、「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)を読み始めました。本書はどこかの美術館のギャラリーショップで購入した覚えがありますが、いつ頃どこだったのかは忘れてしまいました。我が家の書棚には瀧口修造の詩作やら翻訳された書籍が数々ありますが、時を置いて瀧口ワールドが頭をもたげてくる癖が私にはあります。私はシュルレアリスムを瀧口修造を通して知ったので、その思想に再三触れてみたくなるのです。序章にこんな文章がありました。「瀧口の冒険は、言葉とイメージとの間に、その両者が混じり合うことが不可能な『不可浸透のメカニズム』が働いているからこそ始まったのである。だが、それは言葉でいうほど簡単なことではなかった。瀧口の精神的な苦しみはさらに続き、一時は『すべて失った』(『地上の星』1932年)とさえ思ったのである。そのような瀧口が美術に触れることで取り戻したものは、脳裏に浮かぶイメージを目に見える形にして、カンバスの上やオブジェに再現しようとする、なにがあっても不可能を可能にするのだというような表現者特有の気概や執念であったに違いない。」序章の最後の文章に本書「沈黙する球体」というタイトルに関するものがありました。「『唇はなぜ唇の形をしているの』と子供のような質問をし、答えも聞かずに沈黙するこの究極的でミニマムな球体は、瀧口のなかのやっかいなもう一人の自分でもあろう。しかし、これはイメージの怪物だということを忘れてはいけないのである。イメージがひとを混乱に導く名前のない怪物であるなら、それに魅せられ、そのものに向かって『では、あなたを何と呼ぼう?』とつい考えてしまうことは、あくまで人間くさい行為だと言えるのではないだろうか。」瀧口ワールドが美術作品に及ぼす影響は計り知れないものがあると私は考えています。本書は瀧口修造論であり、私も自分の事として本書を読み解いていこうと思っています。