Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「シモーネ・マルティーニ」について
「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「シモーネ・マルティーニ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「シモーネ・マルティーニ(メンミ)がフランチェスコ・ペトラルカ氏の時代に生き、アヴィニョンの宮廷でこの愛の詩人と偶然出会ったということは類まれな幸運であった。詩人は画匠シモーネの手になるラーウラ夫人の肖像画を強く望んだからである。それだけに自分が望んだ通りの美しい肖像を手に入れた時、ペトラルカはシモーネを記念して次の二つのソネットを作った。~ソネット以降、略~シモーネ・メンミはシエーナの人で優れた画家であった。その時代にあって異才であり、法王のアヴィニョンの宮廷でたいへん高く評価された。シモーネは自分の師のジョットがローマでモザイクで身廊その他を制作した時、ローマについて行ったが、ジョットの死後、サン・ピエートロ寺の柱廊玄関内に聖母マリヤを制作する際と、外部に面した柱廊玄関のアーチの間の壁面のいま青銅の松のある近くの場所に聖ペテロと聖パウロとを制作する際に、ジョットの流儀を真似した。そしてその流儀のためにたいへん褒められた。」シモーネには弟がいて、2人とも画家として協力し合ったようです。「最後に二人とも故郷のシエーナに戻り、シモーネはカモㇽリーア門の上の非常に大きな色のついた仕事に取りかかった。そこには『聖母の戴冠』の図が数限りない像とともに描かれている。その作品は彼が大病したために未完成のままに終わった。その重病に勝てずシモーネは1345年この現世を去った。そのことは全シエーナ市にとっての嘆きであり、弟リッポにとっての嘆きであった。弟は兄をサン・フランチェスコ寺に埋葬した。名誉ある埋葬であった。」今回はここまでにします。