Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「ピエーロ・デㇽラ・フランチェスカ」について
「芸術家列伝1」(ジョルジョ・ヴァザーリ著 平川祐弘・小谷年司訳)の「ピエーロ・デㇽラ・フランチェスカ」について、気に留まった箇所をピックアップいたします。「彼は数学、幾何学および正面体の図学的処理に関して、傑出した大家とみなされていたが、老年になってからの失明、それに続く死のために、優れた業績や、書き上げられた論文は公にされなかった。論文は今もなお故郷のボルゴに残されている。この人の名誉を全力を傾けて推輓すべき人物が、すべてをこの人から学んだのであるから当然そうすべきであるにもかかわらず、邪な悪意を抱いて、師ピエーロの名を闇に葬ってしまった。そして師にのみに捧げられるべき栄光を、すなわち、数学などの前述の学問ばかりでなく、絵画にも秀でていた善良なる老師の全業績を、自分の名、フラ・ルーカ・ダル・ボルゴを冠して出版することによって横取りしようとしたのであった。」私は本書を読む前にピエーロ・デㇽラ・フランチェスカの生涯を綴った伝記を読んでいました。このエピソードはこの大家を語る上で重要な位置を占めているようです。絵画に関する記述を拾います。「ローマでの作品を完成した後、ピエーロは母が死んだためボルゴに帰ってきた。ボルゴでは、町の本寺の正面扉の裏に壁画で二人の聖人を描き上げ、美しさで評判になった。サン・アゴスティーノ修道会の僧院では、主祭壇用の絵を描いて大きな賞讃をうけた。つづいて、通称同志団と呼ばれる信仰団体の寺に、壁画『慈悲の聖母』を描いた。さらにはコンセルヴァドーリの宮殿に『キリストの復活』を描くが、これは、この町のなかではもちろんピエーロの全作品の最良のものとされている。~略~ピエーロは研究熱心であった。とりわけ遠近法の造詣は深く、ユークリッド幾何学を完全に把握していた。正面体上に描かれた曲線を、いかなる幾何学者よりも明瞭に理解しており、この分野でのすべての光明はピエーロの手によって灯されたといえる。というのは、幾何学上の正面体について論文を著わしたフランチェスコ派の僧、ルーカ・ダル・ボルゴ先生はピエーロの教え子だったのである。ピエーロは死間近の老年期には、すでに多くの本を書いていた。巨匠の死後、本を手に入れた前述のルーカは、それをそのまま横取りして、自分の著作として印刷させたのであった。」今回はここまでにします。