Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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開港記念日によせて
横浜に生まれて横浜で育った自分は、小学校の頃より開港記念日が定着していて、式典ではどこでも市歌を歌うものだと思っていました。他県の友人に聞くと式典の度に市歌を歌うのは珍しいらしく、これは横浜の特色ある教育の一環だったのかもしれません。今年は開港151年です。150年以上も前、自分が住んでいる一帯はどのような土地であったのでしょうか。自分の先祖はここにもう住んでいて、農家の小作人をやっていたようです。昼夜を分かたず働いて、少々の土地を譲ってもらったのが始まりだと亡くなった祖母から聞いたことがあります。二代目は大工で大酒のみで逸話の多い人物だったようです。三代目も大工、四代目は造園業、そして五代目の自分は彫刻家。150年以上も前は田畑の広がる農村で、牛馬が行き交う大山街道があって、このあたりは本宿(現在は本宿町と南本宿町)と呼ばれていたそうです。少し歩くと二俣川村があったそうなので、このあたりの地名はかなり古くからあったと言えます。開港記念日に、こんなことに思いを馳せてみました。