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横浜で「iSAMU」観劇
KAAT神奈川芸術劇場で今日から「iSAMU」が始まるので前売り券を申し込んでいました。副題には「20世紀を生きた芸術家イサム・ノグチをめぐる3つの物語」とあり、イサム・ノグチに憧れる自分は、どんな物語が展開するのかワクワクしながら公演を楽しみにしていました。私は随分前に「イサム・ノグチ」(ドウス昌代著 講談社)や「評伝イサム・ノグチ」(D・アシュトン著 白水社)を読んでいて、彼の生涯は自分の記憶に刻み込まれているのです。そうした眼でみた「iSAMU」は、よく練られた脚本と巧みな舞台演出に支えられたドラマでイサムの生涯のエピソードを網羅しているように思いました。印象に残ったのは、母ギルモアから0の無限を教わる少年イサムの場面、広島原爆慰霊碑制作に心底打ち込んでいた彫刻家イサムに齎された行政的な結論、女優山口淑子との結婚生活の破綻、の3つで確かにイサムの生涯で取り上げる劇的なエピソードとして、これ以上のものはないと思いました。ただ、自分が感じた残念なことを挙げると、劇が巧妙さゆえにあっさり終わってしまった感があったこと、エピソードを多く入れるために舞台転換を余儀なくされ、舞台を4つに区切ったことで、劇がこじんまりとしてスケールを失っていたように思えました。見方を変えれば、舞台美術の転換をスムーズにし、映像を加えることで緊張感を持たせることに成功しているのですが…。演劇を初めとする表現活動は、見終わった後の印象が全てと思うのは私だけでしょうか。人々の感動を勝ち取るには巧妙さだけではない何かが必要であるし、役者が小さく仕切られた舞台で小さな演技していた印象が拭えないのです。スケールのある芸術家の生涯を描くのは難しいと感じた一夜でした。