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「意志と表象としての世界」第二巻を読み始める
「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第二巻は「意志としての世界」という表題がついています。「自分の身体は他の表象とはまったく別の、ぜんぜん種類の異なった仕方で意識されてくるのであって、これが意志という言葉で表されるものである。」第二巻を読み進んでいくと、ショーペンハウワーが定義する意志という言葉は、通常慣習として使用している意味とやや違うように思います。「直接的にはただわれわれの表象の中に存在するにすぎない物体界に、われわれの知っている最大の実在性を与えようというのであれば、各人にとって自分の身体がそなえている実在性を物体界に与えることになるであろう。身体こそ各人にとってもっとも実在的なものだからである。ところが、われわれがこの身体の実在性とその活動とを分析してみると、身体がわれわれの表象であるという一点を除けば、われわれが身体において出会うのは、意志以外のなにものでもない。」意志という言葉が表示された箇所を引用しましたが、今後読み解いていく上で、意志の広義な捉えをしていきたいと考えています。「われわれは動物をその全生活、体形、器官組織においても、その行動におけると同様に、意志の現場であると認めているが、以上の叙述に従うなら、われわれは動物だけをそのように認めることに立ち止まっていないで、われわれに直接的に与えられた事物の本質自体に関するこの認識を、植物にも移して考えてみることにしよう。植物の全運動は刺戟に基づいておこなわれるのである。植物と動物のとの本質的な相違をなす唯一のものは、植物には認識がないこと、認識によって制約された動機に基づく運動がないことだからである。『われわれの』表象に対し植物として、単なる植物的な機能として、盲目的にはたらく力として現象するところのものを、われわれはその本質それ自体からみて、意志とみなし、これはわれわれ人間の現象の基礎をなすもの、われわれの行動にも、われわれの身体の全存在にもすでに現われているものと同一だと認めるであろう。」通勤の友はなかなか手強いなぁと感じます。