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「意志と表象としての世界」第三巻を読み始める
「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第三巻を読み始めました。第三巻は「表象としての世界の第二考察」という副題がついています。「根拠の原理に依存しない表象、すなわちプラトンのイデア、芸術の客観」というのが第三巻に論述されている内容のようです。プラトンのイデアとは何か、第二巻にも登場した偉大な哲学者プラトンとカント、そして自分にとって楽しみな芸術に纏わる論考、それらをまとめた第三巻はどんな深化が望めるのだろうと思っていますが、読解は生易しいものではないと感じています。「われわれにとっては、意志とは物自体であり、イデアとは一定の段階におけるこの意志の直接の客体性にあたるのである。とすれば、カントの物自体とプラトンのイデア -これがプラトンにとって唯一の真の存在であるー 西洋の二人のもっとも偉大な哲学者のとなえるこれら二つの大きく曖昧な逆説は、もちろんまったく同一ではないにせよ、やはりきわめて互いに縁の深いものがあって、ただその異なるところといえば、たった一つの規定によってであるということが分かってくるのである。」という箇所を第三巻からさっそく引用しましたが、そもそもプラトンのイデアとは何かを知る必要があると思いました。イデアとは姿や形を意味していますが、辞書によれば、心の目(魂の目)によって洞察される純粋な形、つまりものごとの原型のことを言っているようです。天上の世界で魂が見ていたイデアを、人間となって現実界に降り立ち、かつて天上で認識していたイデアを想起するものとも書かれていました。いずれもイデアとは魂レベルの純粋形態であるのは分かりました。通勤の友は、ますます難しくなり、通勤電車で揺られながらイデアに親しむ時が暫らく続きそうです。