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個人と国家の関わりについて
「理性を利用することで、利己心を組織的な方法で処理し、その偏った立場を棄てさせ、これによって容易にあみ出された手段、そしてしだいに完成していった手段こそ、国家契約、もしくは法律である。法律の起源については、すでにプラトンが、わたしがここで述べているのと同じようなことを『国家』編のなかで語っている。~略~さて、道徳はひとえに正義ないし不正の行ないだけを問題にするものであった。不正を行なうまいと断乎として決意した人に、彼の行動の境界線を正確に示してやることができるのが道徳であった。これとは反対に国家論すなわち立法論は、人が不正をこうむることだけを問題にするのであって、もしも不正を行なうという方面のことをも気にかけることがあるとすれば、つねに不正をこうむることとそれが必然的な相関関係にあるからにほかならないであろう。人が不正をこうむることこそ、国家論や立法論が妨げようとしている敵であり、その眼目である。いやそればかりではあるまい。よしんば不正の行ないがもくろまれたにしても、別の面からみて、それで人がなんら不正をこうむることにならないのだとしたら、国家は筋の上からいってもこの不正行為を禁止することはまったくないであろう。」引用は現在読んでいる「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)からのものです。個人と国家の関わりについて改めて認識し、自分にとって分かり易さもあったので掲載いたしました。