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「意志と表象としての世界」まとめの前に…
何週にもわたってずっと読み続けてきた「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)もそろそろ終盤に差し掛かり、ショーペンハウワーの思索が仏教思想に近づくような展開を見せています。「松岡正剛の千夜千冊」にある通り、西欧哲学にして初めて解脱に触れ、それが本書のまとめになっていくのではないかと思われます。それを示唆する文面があるので、引用いたします。「われわれは憎悪と悪心とはエゴイズムによってもたらされるものであること、そのエゴイズムは認識が『個体化の原理』にとらわれていることに基づいているものであることを見てきたが、さらにまたわれわれの正義の起源と本質は、この『個体化の原理』を突き破ってその奥を見とどけることであることを知ったのである。そしてこれに次いで、さらに進んでいけば、愛ならびに高潔心の起源と本質とは『個体化の原理』を看破するこのことの程度が最高度まで達した場合であることをも知った。ひとえに『個体化の原理』を看破できることのみが、自分を個体と他人の個体との間の区別をなくし、他人の個体に対する無視無欲な愛、高邁宏量な献身にまでいたる心の持ち方の完全な善を可能にするものであり、またこれらを説明するものである。~略~万物のうちに自分を認識し、万物のうちに自分の最内奥の真実の自我を認識しているそのような人であれば、生きとし生けるものみなすべての無限の苦悩をも自分の苦悩とみなし、こうして全世界の苦痛をわがものと化するに違いあるまい。~略~このようなときわれわれは断乎として徹底した諦念を通じてあらゆる欲情の刺をつみ取り、いっさいへの苦悩への入口を閉ざし、自らを浄化し聖化したいと念ずるようになるであろう。」