Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

詩によって心が動くとは…
「詩によって心が動く、とはどういうことか。それは、言葉によって不安や不条理感が発生したり、笑いが生じたり、さびしさや爽快感が沸き出したり、あるいはこれまで意識しなかった考えに興奮したりする、そういった多様で、安易に名づけ得ない情態になることを指している。~略~それらしい物語や耳触りのよい詩語を冗舌に並べるのではなく、この『自分の言葉』に真剣に向き合うという書き手の出来事がなければ、読み手もまたその詩を出来事として出会うことはできない。」これは神奈川新聞に掲載されていた廿楽順治氏の文章です。詩とはどういうものかを常日頃から問うている自分の胸にストンと落ちる言葉でした。「推敲の痕跡など残さないように、そして読者がごく自然に流露する詩の言葉の快楽を感じ取れるように、一篇の詩を仕上げる名手」とあったのは朝日新聞に掲載されていた記事で「詩人・大岡信展」を紹介した菅野昭正氏の文章です。時代を象徴する詩人が自ら推敲したノートの写真が掲載されていて、そこには幾度となく書いたり消したりした跡が生々しく残っていました。詩は自分のイメージに従って言葉を選んで作り上げるものだという至極当たり前の方法が見て取れました。かつて自分は、自分が学んだ造形美術はエスキースを重ね、苦しんだ末にひとつのカタチに辿りつくものとしていて、逆に詩は心に浮かんだものをそのまま書いていて、作るというよりは生まれてくるものではないかと思っていた時期がありました。言葉の持つ意味やイメージによって不思議な空間に引っ張られていく自分が、詩人の計り知れない言語力に平伏してしまうことも暫しあって、どうしたらこんなふうに言葉を操れるのだろうと感じていました。詩は造形作品と同じで、書いたり消したりしてひとつのコトバに辿りつくものだと分かって、今は詩が身近に感じられています。さらに平塚市美術館で開催中の「画家の詩、詩人の絵」展を見て、画家も詩人もイメージを具現化する創作工程は同じで、双方の魂が双方の媒体に影響することが認識できました。自分が詩に拘るのも造形美術上、満更でもないのかと思った次第です。