Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「イマージュの反抗」について
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「イマージュの反抗」について気を留めた箇所をピックアップいたします。本単元には「シュルレアリストの文章」という副題がありました。「シュルレアリストは言語にたいして、象徴主義ならびにその後のあらゆる象徴主義者が取ったような迷信を持たないのです。このことは時の進むにしたがって、明確なものとなっています。マラルメのいわゆる捕捉しがたいものの効果は、象徴あるいは比喩の音楽的用法によるものでした。しかしランボーにあっては、感覚の類似や一致というような手ぬるいものではなく、まったく新しい感覚を創造することが企てられたのでした。彼が言語の錬金術と呼んだところのものです。~略~シュルレアリスムは、いたずらに奇異な表現を好むものでもなく、言語の遊戯者に終るものでもないことはあきらかです。アンドレ・ブルトンや他の詩人たちが『溶解する魚』や『磁場』のような自動筆記の文章や夢の記録を発表したときはさまざまな誤解を受けたものでした。詩人のしゃべるすべてが詩になるといったダダイストのアナルシックな宣言から、かれらは一歩すすんで、あらゆる現実の統制を斥けた状態で書くことをこころみたのです。これはいいかえると、ランボーの思想の組織化の計画に第一歩を印したものだといえるでしょう。ブルトンが、二つの距った、あるいは互いに矛盾した像を無意識の力で結合したとき、電磁気のように、精神的な火花を散らすといったのは、結局影像の具体性の力であり、無意識裡に捕ええた人間の矛盾の秘密です。」夢の記述というのがシュルレアリスムには度々登場して、それが芸術の創造に関与していると、私は他の書籍より学んでいます。「われわれは、夢のなかではこれに(文章の前にポール・エリュアールの例文がありました)似た現象に平気で直面するのですが、夢のあとにはすぐに黒い忘却と不思議な悔恨とに蔽われてしまいます。『ポエジーはただ平等にする目的でのみ矛盾を使用し、けっして自己満足に終らない。』この不易の信念をもとにシュルレアリストたちは実験の範囲を拡大してゆくのです。それはすでに、文学としての文章の改革とか表現手法の問題を超えて、もっと広い人間模様の実験の領域にはいるものなのです。」今回はここまでにします。