2017.02.14
現代美術はひと頃前と比べると社会生活に立脚している表現が増えてきました。震災以降、美術は何をすべきなのか、作家が自問自答している場面もありますが、美術作品が村おこしや単なるイベントに使われてしまう可能性も否めません。芸術的価値を再確認する必要もあると考えるのは私だけでしょうか。私は画室に籠もって芸術至上主義を貫くことを言っているのではなく、何でもありの表現活動を見ていると、芸術の判断基準が広域になりすぎて揺らいでしまうのではないかと内心恐れているのです。私は週末とウィークディの夜に陶彫制作をやっていますが、浮世離れした創作活動であることに間違いはなく、自作は社会貢献度が少ない方に入るだろうと思っています。昼間の仕事はその逆で、私のウィークディの勤務は社会との関わりで成り立っているようなものなのです。芸術に社会性を多く求めない私の作品は、二足の草鞋生活の精神的バランスをとるものとして個人的な趣向で生みだされてきたと認識しています。職場で直面する課題の数々を作品化し、発表することも出来ないわけではありませんが、自分自身を取り戻せる時間には、自由な発想で作品を作りたいと思っているのです。もちろん現代を生きる私は、職場でも少子高齢化の影響を受け、それでも緑地が切り崩され都市化する周囲を眺めていて、人口減少の危惧を抱かないことはありません。そうした危機感が作品作りの発想の根幹にあるのではないかと思うところですが、作品の説明要素として表面化していないとも感じています。現状は日常と創作のバランスを保ちながら、双方がお互いを補うカタチになっているというのが実感です。