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note

「聖別の芸術」読後感
「聖別の芸術」(柴辻政彦・米澤有恒著 淡交社)をずいぶん長いこと鞄に入れて持ち歩いていました。やっと読み終えました。「聖別」という西欧の観念をキーワードに現代美術を論じた本書は、自分にとって興味関心が尽きることがなく、度々読み返すことがありました。作家論ではNOTE(ブログ)に「土谷武論」を取り上げましたが、作家全員に感想を述べたい衝動に駆られました。とりわけ陶を扱っている作家には、自分の表現活動との接点を見出し、陶の面白みを再確認しました。「山田光論」の中にこんな一文がありました。「現代陶芸という戦後に樹立される初期の荒地を墾くために、陶にまつわる過去の情緒や知性や教養といったものを可能なかぎり切り捨てる方法に手こずりながら見つめ続けた甲高い寡黙と、しからばどうつくるか、つまり東洋的な造形の基調に迫った厳格のきわどさが染みでた歴々たる前人未倒の記録である」(柴辻政彦著)というもので、陶芸の脈々と続く情緒的な伝統を否定しつつ、新しい陶を模索した「走泥社」の一人である作家の、現代陶芸への誘導路が示されていて、興味が尽きませんでした。あとがきで述べられた一文にも気を留めました。「熟年の私たちともなると、芸術を含めて、あまりに目紛しい世情の動きに段々と野次馬的な好奇心を覚えなくなる。そしてむしろ、何かしら変わらないもの、重々しいものの方に関心が移ってくる。そういう荘重なものを人間はずっと『偉大』とか『聖』といった言葉で捉えて、次世へと伝承してきたのではなかったか、と思えてくる。」(米澤有恒著)というものです。現代美術が広範囲に及んでいる昨今、私も「聖別」に拘っていきたい一人なのです。