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重層空間という考え方
ドイツの版画家ヨルク・シュマイサーの連作版画に、異なるイメージを描いた版を重ねて、ひとつの画面を構成している作品があります。それを見ることで、私たちはあらゆる場面を同時に把握し、イメージの遠近感さえも感受することが出来るのです。私たちが眺めている視界には、さまざまなものが存在し、空間的にも時間的にもそれらをほとんど同時に認知しています。その詳細は現象学の領域になりますが、立体造形に関わっている私は、空間に対して自分なりの考えを持つようになりました。重層空間という考え方を、私はかなり前から意識していましたが、シュマイサーの版画を見たことが契機になって、重層空間のことを思い出したのでした。私たちから見える世界はすべて立体で成り立っています。当たり前なことですが、立体は全部の面が見えて初めて立体になるのです。私たちは立体の一部が見えているのに過ぎず、その表面だけで物の裏側を予想し、立体として解釈しているわけです。そう考えれば見えている全ての物は表層であり、私たちが立体を推量して成り立っているものばかりです。遠近ですら私たちの感覚的推量に他ならず、あらゆる状態に置かれた物を実寸のまま瞬時に把握するのは不可能です。写実的絵画の表現はそこに関わっていると考えられます。奥行をどう捉えるか、学生時代に空気遠近法を教わった時に、私の頭を過った発想がありました。その時、世界は演劇等で使われている紗幕に覆われていて、表層世界が幾重にも重なっているように私には感じられたのでした。重層空間という言葉は、表層が重なり合う状態をそう呼んでみようと私が勝手に思いついたアイディアです。平面に奥行をもたせるのは描写技巧ではなく、例えば紗幕に描いて幾重にも重ねてみる、それがたとえ記憶の刻印であっても下敷きになる記憶は、どんどん上積みされていくことで隠されて、やがて消去していく、新たな上書きが始まることで遠近が生まれてくるという次第です。下敷きにされた写実的形象なり記憶は、表現に深淵を齎すものと私は考えています。重層空間は絵画で言う空気遠近法とは違い、遠い風景や記憶であってもしっかり表現されたもので、それが覆い隠されていき、遠近と深淵が生じると私は信じています。私の拙い空間解釈ですが、いかがでしょうか。