Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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上野の「ムンク展」
このところ大きな規模の展覧会が相次いでいて、先月は東京の上野公園によく出かけていました。ノルウエーの画家エドワルド・ムンクの「叫び」が来日していて、私が行った先月末も長蛇の列が幾重にも連なっていました。ちょうどその日は、開館延長日だったので、まず上野の森美術館の「フェルメール展」を見終った後、夜になってから東京都美術館の「ムンク展」に足を運びました。学生時代、ドイツ表現主義が好きだった自分は、ムンクにも特別な思い入れがありました。若い頃、鬱積した心情や欲望を持て余していた自分は、ムンクやドイツ表現派の作品に共感していました。今回の展覧会でもムンクの作品を見て欝々とした当時の思いが甦り、情緒不安定だった自分を顧みる機会を持ちました。図録よりムンク芸術に纏わる箇所を引用いたします。「ムンクの芸術を特徴づけるものに、言語化しにくい人間の感性、感覚、感情を視覚的に表現する才能が挙げられるだろう。彼の芸術は、たとえその表現方法は文化によって異なるとしても、性愛、憂鬱、愛、孤独や悲しみといった、あらゆる人間が共有する本質的な体験と関わっている。~略~ムンクが生涯にわたり取り組み続けたのが、後に〈生命のフリーズ〉と呼ぶことになるプロジェクトである。~略~ムンクによると〈生命のフリーズ〉は『現代の魂の生活』を描写し、それは『生から死までの人生ー愛の始まり、高まり、闘い、消滅、生への不安、死』として解釈される。要するに、愛との出会い、不安、死という人間の根源的な体験を取り上げることがムンクの芸術的プログラムであった。」(ヨン=オーヴェ・スタイハウグ著)今回の展示作品を見て、ムンクの自画像が多いことに気づきました。ムンクが画学生だった19歳の自画像は完璧な写実絵画で、自信に満ちた自我が現われているように思いました。最後の部屋にある80歳を迎えたムンクの自画像は、時計とベッドを描き、その傍らに立つ老人の姿として自我を表しています。自画像はその時代の画家が被ったあらゆることが表現されていて、画歴として重要な位置を占めるものではないかと感じました。モデルになった女性にもさまざまな思い入れや解釈がありそうで、その関係を調べていくと絵画化した動機が伝わってきます。有名な「叫び」に関しては別稿を起こします。