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映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」雑感
先日、横浜の伊勢佐木町にあるミニシアターに映画「ヨーゼフ・ボイスは挑発する」を観に行きました。20世紀ドイツで最も有名な芸術家と言えばヨーゼフ・ボイスです。私が大学で彫刻を学んでいた頃に、ボイスが来日し、西武美術館で個展を開催しましたが、実際にはボイスの社会彫刻という概念が理解できず、インスタレーションを見ても刺激されることもありませんでした。でも私はボイスの行為を理解しようと努め、関連書籍に頼りました。ボイスの発した思想が漸く分かりかけたのは20年も後になってからでした。映画ではボイスの台詞や行為が大半を占め、肉声を通じて鑑賞者に考えさせる内容になっていました。「芸術を拡張せよと訴え、社会の中での『対話』そのものが芸術だとしたヨーゼフ・ボイスの作品(対話)は、言葉の問題があったのか、1984年の来日当時はなかなか理解されなかった。」という一文が図録に掲載されていました。ボイスの拡大された芸術概念とは何か、またその動機となったものは何か、図録から拾ってみます。「1920年代頃には『資本主義ではなく、共産主義ではなく、第三の道へ』というスローガンがとなえられていたが、現実の社会では結果的にナチズム、ファシズムを第三の道として選択してすすんだ歴史がのこっているが、その間違いをふまえボイスはあらためて苦難にみちた第三の道を彼なりに探究することを決行し、芸術がその活動の場にもっともふさわしいと判断し、芸術活動を実践していったのだ。」(白川昌生著)ボイスにとって社会を変革することが芸術行為となり、さまざまな活動を通して人類による差別や抑圧、弾圧、迫害、搾取の歴史を告発し、人々に一石を投じようとしたのでした。ボイスの考えは現在の日本がおかれた状況にも当て嵌まります。「自然破壊を危惧し、金融資本主義を批判し、直接民主主義を唱えたボイス。木材の輸入で東南アジアの森林破壊を促進している東京オリンピックの競技施設、社会保障より優先される株価の上昇、差別的な発言をはばからない国会議員といった2019年、ポスト・フクシマの日本に彼が降り立ったら、一体なんと言うだろうか。」(高橋瑞木著)