Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

第1・第2ステーション焼成完了
今晩の窯出しで新作の床置きになる第1ステーション4点、第2ステーション10点、合計14点の焼成が終わりました。ステーションの陶彫部品に関しては罅割れが少なく、まずまずの出来上がりだったなぁと思っています。第1・第2ステーションはそれぞれ設計通りの造形のため、組み合わせに新鮮な驚きはありません。それでも手間暇かけて作った分、それなりの迫力は感じます。自作の世界観を集合彫刻によって提示したいという意図は、今までも鑑賞者に伝わっていると自負していますが、組み合わせの妙が効果を上げて、寧ろ意図しない面白みが出ることを期待している私は、第1・第2ステーションの存在よりは、ステーション同士や屏風を繋ぐ根の陶彫部品に賭けていくしかないかなぁと思っているところです。昨年も根の陶彫部品を多めに作っておいて組み合わせによる面白みを狙いました。結局余分に作った陶彫部品は使わなかったのですが、それでも良いと考えています。現在は屏風に接合する陶彫部品を作っていますが、ステーション同士を繋ぐ陶彫部品も作らなければならず、意図しない意外性は今後の制作にかかっていると自覚しています。それは予め頭にある設計ではなく、その場凌ぎで思いついた感覚さえも取り入れていく余裕が齎すものではないかと思います。思いつきはさまざまな時や場面で訪れるもので、イメージの遊戯性とも言えるものです。そればかりでは作品は成立しないので、骨格を持ったイメージがまず存在して、その上で退屈なイメージを弄って壊していくような感覚です。構築と破壊の絶妙なバランスが頭の中でぐるぐる巡って、ギリギリに決着するのが最終作品になるのです。こんな発想が出来るようになった自分に多少の進歩を感じますが、それだけに着実性が失われていく危険も同時に感じます。ピカソのように破壊が常に隣り合わせなのは羨ましい限りですが、まだ自分はどうやらイメージの堂々巡りに陥ってしまっているようです。構築よりも破壊は数百倍も困難を極めます。自作の組み合わせによる新鮮な驚きは、鑑賞者ではなく、まず作者である自分が感じたいものなのです。