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「変容する神仏たち」について
昨年12月から「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)を読んでいます。本書のⅡ「変容する神仏たち」についてのまとめを行います。近世宗教美術の世界を網羅した文章の冒頭に、仏教の世俗化の経緯が書かれていました。僧の堕落の実態を挙げ、精神史における仏教の衰退を意味するくだりはかなり納得がいくもので、江戸時代から明治維新に至る廃仏毀釈がどうして起こったのか、時代背景を探りながらその動機が論じられていました。「僧の堕落と幕府の宗教統制~略~僧の堕落が批判される一方で、人びとの敬愛を集める清僧、傑僧が各地にあらわれ、大衆の教化、布教に成果を挙げたことをまずあげねばならない。そうした地方の名僧の活動のなかで美術に関し特記されるのは禅画である。」白隠や仙厓が登場したのはこんな時代だったのかと改めて知ることが出来ました。その一方で「恵心僧都の説く地獄のイメージは、民衆の日常感覚に合わせてよりわかりやすく親しみやすいものに改めなければならない。と同時にかれらに恐怖を与え改心を迫るため、強烈な印象を与えるものでなくてはならない。そうした新たな要請が、地獄絵のような、宗教画というよりむしろ劇画調に誇張されたキッチュな表現を生み出した。」とありました。曽我蕭白や葛飾北斎の摩訶不思議な世界は、伝統的な仏画の定型から離れた異界としての仏世界を描いたものだったのでしょう。さらにこんな文章もありました。「数へのこだわり、あるいは数によって信仰の深さ強さを証し立てることー江戸時代の美術家が共通して持っていたのはこうした意識であった。円空や木喰の超人的な活動もその一環である。各地の寺院に残る石彫の五百羅漢像は、多く個人の発願によってつくられたものである。」五百羅漢像では京都にある石峰寺にある伊藤若冲の石像や、豆粒ほどの文字を繋げて輪郭にして阿弥陀三尊像を描いた加藤信清のことが述べられていました。世俗化され衰退したと言われる仏教において、江戸時代の人々によって現代にも通じるイメージ豊かな美術作品が創出されることになった契機が分かりやすく論じられていました。