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母が他界した日
私の母が他界しました。享年94歳。大正15年生まれで、大正、昭和、平成、令和の4つの時代を生きた人でした。数年前から介護施設にいて、昨晩体調が悪化して病院に救急搬送され、その時家内と見舞ったのが母の最期の姿になりました。今日は職場に出勤していた私に家内から連絡が入り、急遽病院に駆けつけたのでしたが、11時16分心拍停止、呼吸停止で臨終となりました。いろいろな原因による死因を医師が説明をしてくれましたが、決して流行の新型コロナウイルスではなく、老衰による自然死というのが私の理解です。私は無意識ながら残念に思い、身体の力が抜けましたが、94歳という年齢を考えると悲しみはありませんでした。母の安らかな顔を見ると大往生ではなかったかとも思いました。母は東京蒲田の生まれで実家は和菓子屋を営んでいたそうです。店の向かいに映画館があったというのですから、言うなれば都会育ちでした。その母がまだ田畑が広がる横浜の片田舎に嫁に来たのですから、その文化的な衝撃はさぞ大きかったことでしょう。その証拠に介護施設では介護士を相手に同じ昔話を繰り返していたと聞いています。昨日のことを忘れているのに若い頃のことは鮮明に覚えているのが認知症の特徴なのかもしれません。鞄から取り出した何気ない紙を使って母の顔をデッサンしました。父が亡くなった時も同じことをしていました。写真による遺影などより、鉛筆によるデッサンのほうが生々しい記憶が刻まれるようです。対象をデッサンできる絵画力が自分にあることを嬉しく思いました。横たわる母の姿を見ていると、死とは何かを考えてしまいます。父の時よりもさらに自分の中で死生観が培われていくのは、自分の年齢によるものかなぁと思いました。人は死に向かっていくからこそ生きる意味を探すのかもしれず、自分の創作活動における思索の意味もそんなところにあると感じました。感染症の影響で葬儀も家族葬になってしまい、交友関係が広かった母にしてみれば残念に思うかもしれません。