Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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2021年の初めに…
2021年になりました。今年もよろしくお願いいたします。昨年母が亡くなり、喪に服していることと、世界的に流行している新型コロナウイルス感染症の影響で、今年は正月を迎えた気分がしません。初詣には行かなくても、今朝になって我が家で昔からやってきた氏神への奉納を行うことにしました。母が住んでいた実家の裏山に小さな稲荷の祠があって、小さく刻んだ餅と油揚げを供物として毎年捧げているのです。祠は自宅と実家の間にある雑木林の中に鎮座しています。何代か前の私の先祖が、廃棄してあった稲荷を拾ってきて祠を作ったことで相原の家は栄えたのだと、亡き祖母が言っていました。当時、我が家は半農半商だったようで、商いとして祖父は大工の棟梁をやっていました。父は造園業に転じ、羽振りがよい時期もありました。私は公務員になりましたが、二足の草鞋生活として彫刻家の道を歩み始めました。作品の売れない彫刻家として稲荷の効能はさっぱりありませんが、私は現在もなお健康で、心身ともに負担を強いる創作活動が続けられるのが、ひょっとしたら氏神の効能なのかもしれません。初詣の代わりに祖父母や両親が眠る墓参りに、家内と出かけました。近隣にある菩提寺には何人かの縁者が訪れていました。お盆の時期にしか墓を訪れない私は、これから元旦に墓を訪れてもいいのではないかと思いました。今日は自宅でゆっくり過ごしていましたが、午後3時ごろになると工房に行ってみようと思い立ち、結局今日も工房で陶土に触れてしまいました。明日は陶彫成形をやろうと決めました。明後日からは新作の土台作りに励みます。今年の3月末で私は公務員管理職を退職し、毎日工房に出かけていく日々が続くだろうと思っています。私にとって今年は大きく生活が変わる年でもあります。時間が自由になると創作活動はどうなっていくのか、今まで40年近くも時間が制限されている中で創作活動をやっていました。陶彫制作もRECORD制作も読書も今までは時間を区切って夢中でやってきました。そこからいきなり解放されるのは、創作的な内容に多少なりとも影響があると私は見ています。この生活が始まる前、私はヨーロッパにいて自分なりの表現を探していました。異文化の渦中にあり、しかも国立美術アカデミーの学生という身分で、私には若い仲間たちが周囲にいたものの、孤独の中でかなり足掻いていたのでした。そんなことが再びやってくるとは思えないのですが、自分が進めてきた造形理論をもう一度見直す良い機会かもしれません。4月からの新生活を前向きに捉えていきたいと考えることにしました。