Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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次なる作品のイメージへ…
現在作っている新作が佳境を迎え、肉体的にも精神的にも苦しい状況の中で、私には次なる作品のイメージが降って湧いてくる癖があるようです。現行の新作は土台に砂マチエールを施し、また同時に土台を追加して制作しているため、工房の至るところに作品の一部が置いてあります。この作品が散らばった混乱状態の中で、次なる作品が見えてくるのです。現行の作品は秩序だった構成を持ち、土台に置かれる陶彫部品にやや崩れた形跡を作ってはいますが、基本的には整理された構成要素で成り立っています。次なるイメージはさらに崩壊が進んだ世界を想定して、不完全で断片的な立体を作ろうと思っているのです。新たなイメージは現行作品の中から産み落とされるものかもしれず、自分自身の中で少なからず破壊と創造を繰り返しているように感じています。イメージとは一体どういうものか、いつごろからイメージに囚われるようになったのか、私は自分自身に向かって問いかけることもあります。彫刻を学んでいる時代にはイメージによる自分の世界観をもつことはありませんでした。モデルを立たせて人体塑造を行っていた時は、空間の中に粘土でデッサンしていくように師匠に教わり、写実的に塊を捉える力を身につけていました。その時は人体をテーマにして自分の世界観を培うことも出来ましたが、私の場合は海外に出かけ、そこで自らの造形としての考え方を問い詰めていった時期がありました。外国語が分からない頃は自分を閉鎖し、他者との接触を絶っている時期もありました。海外の美術学校で実施した人体塑造に自分の資質がついていかないことも実感しました。ヨーロッパで構築された彫刻という概念は、日本で行っていた彫刻の在り方の根本を疑い、自分の生育歴を含めて、改めて空間造形という考え方に自分がぶち当たりました。私は西欧との比較によって己を知り、そこから自らの世界観を紡ぎ出したと言えます。日本から巡回してきた陶芸による展覧会、父が生業としてきた造園、自閉していた時に彷徨い歩いた西欧の旧市街とその源泉となった都市遺跡、それらが自分の中で繋がり、作品イメージが醸成されていったと自覚しています。次なる作品のイメージへ向かって一歩を踏み出したいところですが、現行作品に苦しめられている今の状況からは現実逃避にしか思えず、新たなイメージは暫し放置することにしました。