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「ピエロ的世界の成立」について
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)の「第4章 ピエロ的世界の成立」についてのまとめを行います。ここではピエロが影響受けた人や制作した祭壇画についての記述がありました。まず画家ドメニコ・ヴェネツィアーノに関してこんな文章を引用いたします。「ドメニコに独自なものといえば、トーンの鮮やかさ、絵肌の清澄さ、つまりマザッチョのぼかし画法の対極に位置する透明な厚塗りであり、なかでもその澄みきった緑色である。そしてこれらの特徴は、たしかにピエロにも見出される。~略~ドメニコ・ヴェネツィアーノがフラ・アンジェリコ同様に光の詩人であることは疑いをいれない。そしてまちがいなく、ピエロも同じ資質を備えていた。ピエロはこの両先達に見られる透明感といおうか非物質的な光を、重く堅固な物体の内部にまで導いたのである。」次に画家サセッタについて書かれていました。「1392年アッシャーノに生まれたサセッタ、本名ステファノ・ディ・ジョヴァンニは、たしかに15世紀前半のシエナ派でもっとも興味深い存在のひとりである。~略~ピエロの力感に満ちたひろやかな世界は、どう見てもサセッタとは結びつかない。ピエロはサセッタの美しい金色の世界に感心したかもしれない。敬意さえ表したかもしれない。しかし、それはそれだけのことである。」サセッタの祭壇画が完成した翌年にピエロにも多翼祭壇画の注文がきたのでした。「ピエロは《ミゼリコルディアの多翼祭壇画》で古い典礼様式に新しい人間性を盛った。中央上部に描かれた『キリストの磔刑』は、金地を背景に劇的な性格と熱っぽい動きを見せている。~略~ピエロが多くの先達から影響を受けたことは否定できない。しかしピエロの内部には、なにものにも還元できないものがあった。いまこの時点でいえるのは、シエナ派的なもの、サセッタ的なものはピエロの本質には関わりがないこと、ピエロはたしかにマゾリーノの描く裸体のおだやかさとマザッチョ的な不安な重みがともに存在するが、そこから生じる葛藤はやがて差しかける光に影のように消えてゆくことである。理知の空間に平安が生まれてくるのである。」今日はここまでにします。