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ヴァザーリのピエロ評と読後感
「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」(アンリ・フォション著 原章二訳 白水社)には最後に付録がついています。それはジョルジョ・ヴァザーリによる「ピエーロ・デッラ・フランチェスカ伝」です。ヴァザーリはルネサンス後期(マニエリスム期)の画家・建築家・ミケランジェロの弟子という位置づけがありますが、何よりも多くの芸術家の評伝を著した美術史家として後世に名を残しています。和訳された「芸術家列伝」を私はまだ読んでいませんが、イタリア・ルネサンスを研究するならば、「芸術家列伝」は避けて通れないスタンダードな著作になっています。ヴァザーリは本書を著したアンリ・フォションとも微妙に違った見解を持っていましたが、ピエロの寡黙な姿勢や優れた画法は一致していました。ヴァザーリの文章の中で、私はピエロならではのエピソードが気になりました。引用いたします。「ピエーロは研究熱心であった。とりわけ遠近法の造詣は深く、ユークリッド幾何学を完全に把握していた。正面体上に描かれた曲線を、いかなる幾何学者よりも明瞭に理解しており、この分野でのすべての光明はピエーロの手によって灯されたといえる。というのは、幾何学上の正面体について論文を著わしたフランチェスコ派の僧、ルーカ・ダル・ボルゴ先生はピエーロの教え子だったのである。ピエーロは死間近の老年期には、すでに多くの本を書いていた。巨匠の死後、本を手に入れた前述のルーカは、それをそのまま横取りして、自分の著作として印刷させたのであった。」こんな話は現在の博士論文だけではなく昔からあったのだろうと思いましたが、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵画自体も失われている場合もあって、最近の研究によって掘り起こされた作品もあると聞き及んでいます。ピエロの真筆となる残存作品はフェルメールよりも少ないのではないかと思いますが、願わくばもう一度イタリアに渡って、ピエロのフレスコ画をじっくり眺めてみたい欲求に駆られているのは私だけではないはずです。20代の頃にオーストリアに住んでいた私は幾度となくイタリアにも出かけていますが、慌しく美術館を巡る観光旅行になってしまっていて、イタリアの地方にある教会を訪ねて歩くことなど考えが及ばなかったのでした。イタリア・ルネサンスと聞いただけで頭がクルクル回ってしまった当時の私は、若いくせに咀嚼力・受容力が何故なかったのか、今になって思うと残念でなりません。もう一度チャンスがやってきたら、「芸術家列伝」を携えてイタリアに行こうと思っています。