Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「グレコ・ローマン時代のミイラ作り」について
先日、見に行った「大英博物館ミイラ展」で、浅学な私が驚きをもって発見したことを、今日はNOTE(ブログ)にまとめます。それは私はミイラ作りの文化は古代エジプトだけのものだと思っていたことです。図録によると「ギリシャ人およびローマ人によるエジプト支配は、行政機構に多くの変化をもたらせただけでなく、文化を変容させ、埋葬習慣の伝統にも影響を及ぼした。アレクサンドリアをはじめとするギリシャ人が暮らす都市では火葬が行なわれたが、死者をミイラにする古代の風習は、ローマ支配時代に入ってもエジプト各地で続けられた。ギリシャ人がエジプトを支配してからも、埋葬に関わる信仰や、遺体の処理、副葬品が大きく変化することはなかった。」とありました。展示品の中にこのグレコ・ローマン時代の若い男性のミイラがあり、さらにびっくりするようなエピソードがありました。「ミイラは、外見の見栄えを保つことに最大の配慮がなされたようだが、内臓の保存がないがしろにされたわけではない。グレコ・ローマン時代(前332~後395年頃)に入っても、それ以前のミイラ作りの伝統は一貫して継承され、脳は取り除かれていた。~略~さらにCTスキャンの結果、もう一つ驚くべき残存物があることが明らかになった。頭蓋の奥に、長さ11.7cm、直径1.4cmのかなり大きな木片が見つかったのである。この木片は鼻腔に開口部を開け、脳を突いたり掻き出したりして取り除く際に用いられたものらしい。ミイラ職人が残したこの木片は、こうした遺体処理の際にどのような道具が使われていたかを知るうえで貴重な手がかりになる。考古学調査でミイラ作りの道具が確認されたり出土することはめったにないからである。」現代の画像解析をもってすれば脳内に忘れられた掻き出しベラさえ正確な寸法で見ることができるのです。ミイラは古代エジプトの王族が生前の姿をそのまま保存し、来世で甦ることを目的にしたものでしたが、王族に限らず神官もミイラにしたことも今回の展示で分かりました。またミイラ作りのコストや時間の制約、地域ごとの工房の好みや得意技術もあったようです。ミイラは時代が新しいほどシンプルで安上がりになっているにも関わらず、保存する目的としては充分効果的だったことも分かってきました。「大英博物館ミイラ展」は、何と言ってもミイラを身近に感じられたことが、私にとって最大の驚きでした。