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葉山の「香月泰男」展
今日は工房での制作を休んで、家内と神奈川県立近代美術館葉山に「香月泰男」展を観に出かけました。生誕110年という節目に初期から没年までの作品を概観できるとあって、私は必ず本展に行こうと決めていました。画家香月泰男は自分の学生時代にその名を知り、画業である「シベリア・シリーズ」の一部を、当時どこかの画廊で見た記憶があります。その頃、彫刻を学んでいた自分は、「シベリア・シリーズ」に描かれた重厚な墨色の背景と、骨太な顔が幾重にも並ぶ画面に釘付けになりました。私は彫刻と並行して木版画を試していました。それはドイツ表現派に代表されるケーテ・コルヴィッツのモノクロ版画に触発されて、自分も拙い表現をやっていたのでしたが、香月泰男の世界観はそんな私を吹き飛ばし、「シベリア・シリーズ」の真摯な表現がコルヴィッツのそれに繋がるものとして認識できました。戦争の尋常ならざる体験が生み出した人間の存在を問う世界。精神が究極に追い詰められていなければ到達できなかった深遠な表現世界は、平和な時代に生きた私にもズシリとくるものを齎せたのでした。シベリア抑留生活の体験は、前に横浜美術館で開催された画家宮崎進の画業からも放射されていたもので、表現は違えど主張する根拠は同じだろうと思えました。芸術家の生涯の中で、想像を絶する悲惨な体験があれば、芸術家はそれを表現せざるを得ないのです。しかもどうこの惨事を伝えるか、自分に問いかけ、その表現を探り、やがて具現化していくのですが、「シベリア・シリーズ」にはピカソの「ゲルニカ」と同じ象徴化も見受けられました。シベリア抑留生活の体験は、写実的な具象表現では伝わらないと画家は判断したのでしょう。訴えるものの強さが具象を超えていくと、本展を見て私は感じました。私は図録を購入したので、画家香月泰男の研究された背景をさまざまな人の論考から学んで、再度別稿を起こしたいと思います。