Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「シベリア・シリーズ」について
昨日、神奈川県立近代美術館葉山で開催されている「香月泰男」展に行きました。そこに展示されていた「シベリア・シリーズ」全57点は、圧倒的な迫力を持って私の心を捉えました。画家は大戦中にシベリア抑留生活を体験して、これを連作にまとめたものが「シベリア・シリーズ」です。ところが初めから連作にする意識がなかったことが図録の文章より分かりました。心に刻んだ印象をその都度画題にして描き溜めたものを、その後になって体系化を図ったようです。「(美術評論家の)針生一郎は、今日『シベリア・シリーズ』として括られる57点の絵画作品が生まれる過程を『追憶の底に悪夢のように凍結された映像を、ピアノの鍵盤をあちらこちら叩くように掘りおこしながら、同時にそれを極限まで純粋化、結晶化してゆく過程』と評している。欧州滞在を契機に、絵画の主題として香月のなかに浮かび上がってきた戦争と抑留の体験であったが、どの鍵盤を叩けば音が出るのか、そしてそれが美しい音であるかを画家は知りようがなかったであろうし、ましてや個々の音を繋げてひとつのハーモニーを奏でることなど意識にはなかった。~略~このときまでのシベリア・シリーズは、画家が『描きたいモチーフを、内発する衝動にまかせて夢中で描いていった』結果生まれたものであり、そのため描かれた主題と描いた順番には脈絡がない。また応召から従軍、抑留を経て復員までをひとつの物語と見たとき、例えば応召や入隊の主題を描いた作品が1967年の時点では1点もないのに対して、収容所での生活を扱ったものが多いなど、主題に偏りがあった。シリーズとしての精度を高めるためには、足りない部分を補う必要があり、ゆえに1967年以降に描かれた作品の主題の選択には、シリーズ全体の体系化や整合化に対する意識が反映されている。」(萬屋健司著)ひとつの主題を画業として完成させるなら体系化は必要だと私も思います。訴えたい内容に厚さと重さを齎すからです。とりわけ巨大な外部刺激が画家の生涯を変えてしまうような事件であればなおさらです。私たち鑑賞者の多くは「香月泰男」展に「シベリア・シリーズ」を見にきていると言っても過言ではありません。それほど心を抉られる強い表現がそこにあるからです。