Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「開花いたしたく候」のまとめ
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「一章 開花いたしたく候」をまとめます。聖像画家山下りんの郷里である茨城県笠間から東京に、りんが出てくるまでの経緯を描いたのが「一章 開花いたしたく候」です。小田秀夫著「山下りん」に比べると、いかにもこれは小説で、調査事実を前提として、情景を加味して膨らませ、またりんを取り巻く人間模様が立体的に表されています。りんはどんな風貌でいかなる性格だったのか、兄の台詞で推察が出来ます。「りん、諦めるでないぞ。お前は不縹緻のうえ、世辞の一つも繰り出せぬ無愛想者だ。ところが、いざ思うことを口に出したら梃子でも動かねぇ。馬にも引かれぬ剛情者ときた。」嫁ぎ先を心配する母や兄に対し、きっぱりと結婚はしないとりんは宣言をしています。「嫁いでしまえば、可枝が歌を詠むひとときを許されぬように、わたしも葉ごと毟られ、植え替えられてしまう。婚家の風儀に添うよう肥料を与えられ、ここで根を張れ、それでこそよい木だと言い含められて仕立てられてゆく。そんな一生など、わたしはまっぴらだ。」可枝は先に嫁いでいた友人で、文学に長けていた人だったようです。りんは家族に手紙を書いています。「絵師になりたき一念どうにも抑え難く、かような決意に至りし候こと、何とぞ御寛恕くだされたく候。江戸にて必ず本望を果たします故、私のことはどうかご案じくださいませぬよう、お願い申し上げ候。」りんは簡単な旅支度をして東京に向けて家出をします。歩いて4日間で東京に辿り着き、親戚の生沼家に身を寄せますが、追って来た兄に連れ戻されます。暫く実家で静かにしていたりんでしたが、嫁ぎ先とうまくいかなかった可枝が自殺をしたことで、兄の気持ちに変化が生じます。「我が身に赤子をしっかりと括りつけて、入水したようです。先方はたいそうお怒りで、葬儀も営まぬと仰せだと聞きました。それでご実家が骸をお引き取りになって、今朝、お身内だけで埋葬を済まされたようです。」ついに兄の許しを得て、りんは東京の生沼家に居候しながら、浮世絵師の門を叩きますが、なかなかうまくいかず、4人目の中丸清十郎に漸く真の師の姿を見出すのでした。そこでりんは南画を学びながら西洋画の存在を知りました。中丸清十郎宅に画塾の同志達が集い、新設の画学校の情報を得るのです。「ともかく、近代日本初の画学校、工部美術学校が政府の肝煎で開かれる。油画に水画の画法、遠近画術や画薬の調合まで伝習されるらしい。」しかも男子に加えて女子の募集も始まるため、りんは入校試験を受けることにしたのでした。二章は工部美術学校のことが描かれていくようです。