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映画「トーベ」雑感
先日、横浜のシネマジャック&ベティに、スウェーデン語で書かれたフィンランド映画「トーベ」を観に行きました。世界中で愛されるムーミンを創り出した芸術家トーベ・ヤンソン。彼女はどんな生涯を送ったのか、あの独特な童話の世界観はどのようにして育まれたのか、そんなことを知りたくて私は映画館に足を運んだのでした。トーベの父は高名な具象彫刻家で、父との間に軋轢があり、トーベ自身も本格的な画家を志していましたが、父に認められず、自らを慰めるように不思議なイラストを描き溜めていました。トーベは奔放な性格ゆえか若い芸術家たちとのパーティーに明け暮れて、煙草や酒を手放さず、また同性愛にも溺れていました。トーベと生涯を共にする女流芸術家トゥーリッキも登場しますが、映画のほとんどは舞台演出家ヴィヴィカ・パンドラーとの情愛が描かれていました。これはドキュメンタリーではないと理解しつつ、多彩な人流の中にあってもトーベの溢れる創作的な才能を、映画では存分に表現していて楽しめました。図録より、私も同感した部分を書いた文章を拾います。「堂々とした佇まいの女性演出家ヴィヴィカ・パンドラーは、その華やかな面立ちと貴族的な育ちのよさゆえに、ある意味でトーベの対極にある。愛されること、崇められること、注目をあびること、鄭重に遇されることに慣れている。」というのがヴィヴィカの最初の印象でしたが、トーベとの関わりの中で本性が次第に暴かれていきます。「ヴィヴィカにたいする幻想も消える。彼女は見かけほど強くない。自由でもない。ほんとうは、好きなことをやる勇気がない。なにより、トーベの愛を正面でうけとめる勇気がない。『私はパリを愛している』と逃げてしまう。このときトーベは覚悟を決めたのだと思う。だれよりも情熱的に愛し、いまもその愛に変わりはない。だが、彼女から人間的な反応や報いを期待してはならない。彼女は海だ。暴風に逆巻く波をうねらせる荒れた海だ。」(冨原眞弓著)映画を観ていて私もこんな感想を持ちました。トーベの創り出したムーミンとそれを取り巻く個性的なキャラクターは、トーベ自身の人間関係や環境から生まれたもので、大団円として終わるものではなく、また清濁合わせ飲んだ雰囲気がその背景にあり、単なる童話として扱えない要素が伺えます。そんな物語を紡いだトーベ・ヤンソンは世界的に見ても貴重な存在だろうと思っています。