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「絵筆を持つ尼僧たち」のまとめ①
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「三章 絵筆を持つ尼僧たち」の前半部分をまとめます。いずれ聖像画家になる山下りんはついにロシアに留学することになりました。前半ではペテルブルグに到着するまでの航路や陸路が描かれています。女性であり、最初の留学生でもあったりんの旅路は決して楽なものではなかったことが窺い知れました。「りんが乗るはずの船はメレザレイ号という蒸気船で、途方もなく巨きな黒だ。聳える大煙突も黒く、吐く煙が太い。煙突の左右に並ぶ帆柱からは綱が放射状に伸び、朝空に斜線を刻んでいる。こんな立派な船に乗るのかと思えば胸が躍る。~略~『五年の間、しっかり学んできなされ』日本国とロシア領事館への手続きは教会の事務方が取り計らってくれるらしく、修道院では衣食住の心配も要らないという。」この時、りんはアナトーリイ司祭と、彼の弟で歌の教師であるチハイ師とその妻、子供も一緒の船旅でした。船が出港してりんが気づいたことは、船内にりんが泊まる部屋も食事もなかったことでした。「『お前、金がない。切手、最下等』つくづくと冷淡な目をしてりんを見下ろし、そして(司祭は)立ち去った。金がない。そういうことかと、力が抜けた。部屋も賄いもついていない、つまり船艙での起き臥しだけを許された最下等、それがりんのために用意された切手ということだ。」さらにりんを苦業が襲います。「日本から遠ざかるにつれ、海が荒くなった。横に上下に船は揺れ、胃の腑にはほとんど何もないのに、吐き通しに吐いた。もはやこれまでかと思うほどの苦しさで、立つことも坐ることもできない。」チハイ師から子守も命ぜられます。「『守り、せよ』あの男児を連れており、りんの前に押し出してくる。子供は途端に耳障りな声を立てて泣く。~略~アナトーリイ司祭は今もりんを一顧だにせず、チハイ師夫妻にはイワンの子守りとしか扱われていない。けれど、いかほどの苦渋を嘗めさせられようとも船は進む。行く所まで行き着いてしまえば、あとはどうとでもなるではないか。やっと肚を括っていた。死なば死ね。生きなば、生きよ。~略~明治14年正月30日、とうとうロシアの土を踏んだ。」司祭に洋服を買ってもらい、りんはあちらこちらの家に挨拶に出向きました。ついにペテルブルグに到着しました。「かほどに壮麗な町の景色は、ホンタネジー先生の見せてくれた西洋画にもなかった。胸が高鳴る。~略~『この地で一番、イサーキイ大聖堂。日本のおなごが足を踏み入れる、イリナ(りん)、初めて』~略~堂内は薄暗い。しかしやがて眼が慣れてくれば、壁といい柱といい、優美な金で花や草が象られていることが見てとれた。そして絵だ。どこもかしこも絵画で埋め尽くされている。豪奢な額入りの絵画も壁に掲げられ、献灯されていた。さらに広間に出れば無数の蝋燭の灯が揺れている。階上の壁にも彩色された絵が続き、巻物が繰り広げられているかのようだ。聖人や生神女、聖天使らがさざめき、唱え、歌っている。生神女とは、ハリストスをお生みまいらせたマリヤのことだ。そして遥かかなたに丸い天空があった。輪を描くように並んだ硝子窓から天光が降り注ぎ、大天使らしき姿を象った金の彫刻を柔らかく照らしている。いかにして描いたものやら、やはり大天井にも壁画が描かれていた。」今回はここまでにします。