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山下りんの海外留学について
現在読んでいる「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)には、ロシアに留学し西洋絵画を学ぼうとする女性画家の姿が描かれています。日本人としては初の女性留学生ですが、やがて聖像画家となる山下りんのことです。彼女は東京の工部美術学校に入学しますが、育った環境や時代背景からして、西洋画を西欧で学ぶことが許されず、東京神田にあったニコライ堂で見た西洋絵画に感銘を受けて、ロシアに聖像画の修業に出かけることになるのです。絵画の修業が契機になってキリスト教の洗礼を受けました。そうした状況でも山下りんは、サンクトペテルブルグ(レニングラード州)の女子修道院に寄宿しながらエルミタージュ美術館に通い、西洋絵画に触れていました。勿論ロシア聖像画の修業もやっていたのですが、本人の求めるものはロシア聖像画の模写だけではなく、あくまでもイタリアのルネサンスあたりの活力に満ち溢れた世界であったようです。決して裕福ではなかった山下りんが辿った行程は、凄まじいものがあり、明治時代の曙期に西洋絵画を極めようとした女性画家の胆の据わり方には驚かされます。「死なば死ね。生きなば、生きよ。」という言葉に見られるように山下りんにとって命懸けの渡航だったようですが、さすがに芯の強い山下りんも、精神的な面もあって体調を崩しがちになり、5年間の留学を2年半にして帰国したのでした。明治時代の海外留学は今の時代とは異なり、文化の違いを強烈に感じられるものではなかったかと想像しています。私も1980年から5年間海外にいましたが、もはや時代が変わり、国際化が進んでいたので、他国に学ぶ留学ではなく、己の存在を外国の風土で確認していく時間の使い方だったように思っています。現在では通信手段が豊富なので、さらに留学に対する意識が違うものになっているのでしょう。「白光」に描かれた山下りんは、異なる文化に身を捧げようとする鬼気迫る情熱に貫かれた一人の人間の姿です。今の私にとってそれが新鮮なのです。人間はどのくらい求めるものに真摯になれるのか、多少の犠牲を払ってもやりたいことを遂げることとは何だろうか、果たしてそこまで打ち込めるものが自分にはあるのだろうか、自分に問いかける重要な主題がそこにあると私は思っています。