Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 不自由な表現方法について
日曜日になり、朝から工房に篭っていました。今日は先日からの継続で中規模作品の両側面の下書きをやっていました。明日以降、下書きを基に木彫や刳り貫き作業を行うつもりです。新作は陶彫から木彫に切り替わる制作工程を迎えていますが、実材を扱うことに関しては素材が変わるだけで、アプローチは一緒です。デジタル万能の世界になり、自分のイメージをコンピューターでも創作できてしまう昨今ですが、私はずっとアナログな彫刻制作に拘っていて、常に実材に向かい合い、陶土や木材と対話をしながらカタチを作っていきます。それが好きと言えばその通りですが、実体のある立体作品には重量があり、何をするのにも技能が必要で、大変不自由な表現方法と言えます。しかも時間がかかり、一気呵成に作り上げられないこともあります。もっと短時間で簡単に作れる方法はあると思うのですが、私は前時代的な表現方法にこそ魂が込められていると信じて疑いません。自分はつくづく昔気質だなぁと思いながら、変化を求められるものと不変なものが現代社会にだって存在していると思っています。とりわけ不変で恒久なものがあると思うだけで人間らしく生きていけるような気がしています。効率性や経済活動にほとんど参加しない彫刻は、まさに人間らしく生きるための不自由な表現方法であろうと思っています。彫刻は他の表現媒体に比べると辛いものだというニュアンスを、確かルネサンスの巨匠ミケランジェロが言っていたと記憶していますが、原石を切り出して珠玉の作品の数々を作っていたミケランジェロ先生だからこそ、彫刻の素晴らしさと労苦を伝えられたのでしょう。不自由な表現方法でもやってみたい物好きがいる以上、アナログに突っ走っていく彫刻はいつまでも続いていくと考えています。寒さの増す工房で、厚板材を眺めながら、今日はこんなことを考えていました。