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「ニコライ堂の鐘の音」のまとめ②
「白光」(朝井まかて著 文藝春秋)の「六章 ニコライ堂の鐘の音」の後半部分をまとめます。この章では時代の変遷が描かれます。「ニコライ大主教が永眠した明治四十五年、七月の暑い盛りに天皇が崩御した。」ここで明治から大正に時代が移ります。文脈は前後しますが、ロシアでも大きな事件がありました。「『今日は重大なことをご報告せねばなりません。本国の三月二日、日本の三月十五日、皇帝が退位されました』すでに流暢な日本語を話す主教だが言葉が途切れがちで、重苦しい。『では、ニコライ二世の跡を皇太子がお継ぎになったのですね』教役者の誰かが訊ねた。主教は静かに頭を振る。『皇太子はまだ幼くていらっしゃる。皇位は弟御のミハイル公に譲られたが、公はこれを拒否された。三百年続いたロマノフ王朝は滅亡されました』」その後ロシアは内戦状態になり、ソヴェート政権の樹立が宣言されたのでした。話は変わって本章では美術界の変遷にも触れられていました。「ロシアの人々もあの伊太利画に憧れ、親しんだ。だが、『西欧化された聖像画は世俗的芸術ではないか』という懐疑が知識層の間で広がり、伝統的なギリシャ画の復興が図られるようになる。ちょうど明治の日本でも同じようなことが起きた。お雇い外国人に盛んに洋画を学び、しかし反動のように日本美術の再評価が行なわれ、今度は洋画が排斥された。どこの国でも多文化の移入と受容には、よく似た沸騰と冷却が起きるらしい。」高齢になった山下りんにも異変が生じます。「『白内障だね。あなたの年齢だと珍しくない病だ。どうするね。手術もできるが、術後は眼鏡になるよ。ご家族とよく相談してみたまえ』医者はそこまでを言い、問診書を持ち上げて『独り身か』と呟いた。職業については看護婦に何も訊かれなかったので、空欄のままだ。『今のままでも、日常の暮らしにはさほど苦労はないだろうがね』そう、さほど苦労はないだろう。私が画師でなければ。」ついにりんは教会の諸事情により工房を明け渡すことになりました。「『ロシアから帰国したのが明治十六年でしたから、三十五年ほどになりましょうか。ニコライ師と出会って聖名イリナを授けていただいたのが明治十一年ですから、あの頃から指折り数えれば四十年お世話になりました』ニコライ師を喪い、やっと聖像画師として生きている実感を持てるようになれば眼が駄目だ。なんと儚い、頼りない我が身であることよ。」今回はここまでにします。