Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「ヴァイマルのバウハウス 草創期」のまとめ
「バウハウス-歴史と理念」(利光功著 株マイブックサービス)の「第二章 ヴァイマルのバウハウス その一 草創期」をまとめます。グロピウスがバウハウスで新たに招聘したのは画家ファイニンガー、彫刻家マルクス、美術教育家イッテンでした。「グロピウスはファイニンガーを狭量な絵のことしか頭にない画家とは考えていなかった。多くの戯画を描いていることからしても、時代の動きに敏感な幅広い造形家として尊敬していたし、比較的年輩ではあったが(当時48歳)バウハウスの思想に共鳴できる若い柔軟な精神の持ち主とみていた。」またイッテンにはこんなエピソードがありました。「ヴィーンにおいてイッテンは作曲家グスタフ・マーラーの未亡人で後にグロピウス夫人となったアルマ・マーラーと知り合い、アルマがイッテンの絵画とその美術教育法に関心を持っていたところから、彼を夫に引き合わせたのであった。」バウハウスには市民からの非難もあり、こんな攻撃も受けていました。「バウハウスは以前の美術大学の伝統を捨てさり、学生の生活態度はヴァイマルの誇れる伝統的生活様式を故意に軽蔑している、バウハウスは工芸に重点を置くことにより美術学校であるよりは一つの企業体にならんと努力している、バウハウスは表現主義的な偏向教育を行なっている、~略~」というもので、つまり「バウハウスの設立された当初からいわば保守と革新との間の軋轢が存在していたのであって、この対立は容易なことでは融和されるはずがなかった。なかでも旧美術大学の教師にとって大きな不満のもととなったのは、バウハウスが手工芸教育を主眼としていたことであったと思われる。」なかでもイッテンが実践した予備教育は独自なものでした。「イッテンの考えによれば、学生は工房で生産活動に従うのであるが、最初から実践的な技術や市場調査法を教えるべきでなく、まず想像的創造力を涵養し、斬新な造形をなしうる真に創造的な人間を育成することが、予備教育の基本的方針でなければならなかった。~略~イッテンの教育は、バウハウス本来の工芸教育を行なうための予備的な教育であったが、しかしさまざまな意味で初期のバウハウスの教育の中心的位置を占めた。これはひとえにイッテンが芸術教育者として卓越した才能を有していたことによるのである。」今回はここまでにします。