Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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絵画で語りうることは…
1月14日付の朝日新聞「折々のことば」に掲載されていた記事を紹介します。「絵画で語りうることはすべて絵画で語る方がいい。-アルベルト・ジャコメッティ- 同じように、彫刻でしか語れないものが真の彫刻だと美術家は言う。問題はそれぞれの流儀でしか語れないものを知ること、制作から余分なものを削ぎ落とすこと。世界には、聴き取られるべき無数の音色がある。人はそれを聴き、語る仕方を違えもするので、精髄だけを取り出すにも無限の努力が要る。『ジャコメッティ 私の現実』(矢内原伊作・宇佐見栄治編訳)から。」(鷲田清一著)これを読んだときに私は、あまりにも単刀直入で端的な言い回しに、目から鱗が落ちました。彫刻家で画家のアルベルト・ジャコメッティは極端に細くなった人物像で知られた芸術家です。これは作家が意図したものではなく、観察を繰り返していくうちに人物像は次第に細くなっていったようです。余分なものを削ぎ落とす、これはどういう意味でしょうか。精髄だけを取り出す、これもどういう意味でしょうか。私は日々陶彫を作っていますが、陶彫でしか語れないことがあることは実感として分かっています。他の表現分野でそれを語ることはできません。陶彫だからこそ伝えられるものがあり、陶彫でなければ出来ないからこそ、陶彫技法を得て作品を作っているのです。作品には主張する全てのことがあって、それ以上でもなければそれ以下でもないと私も思います。ジャコメッティが観察を通して立体を捉えようと奮闘していたことは、そのモデルを務めていた矢内原伊作の著作から知っていましたが、モノの成り立ち、その精髄を突き止めるために描写し、塑造し、見つめ続けたことにジャコメッティは己の生涯をかけていました。その生きざまに私たちは創作意欲を搔き立てられてしまうことも事実です。