Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

週末 新聞記事より抜粋
週末にはいつも制作のことに触れたNOTE(ブログ)を書いていますが、今日の話題は新聞記事より選びました。昨日の朝日新聞夕刊に掲載されていた詩人谷川俊太郎氏のインタビュー記事に目が留まってしまい、自らの考えを巡らす結果になりました。90歳を迎えた詩人谷川俊太郎氏を私は常々羨ましく感じていました。記事にもあった通り「教職など副業を持たずにきた谷川さんにとって詩作は生業。」とあって創作活動一本で生きてきた詩人は、日本では稀な人だろうと思います。おまけに90歳、これも長寿を詩作のみで生きてきた幸運もあって、私は羨望の眼差しで見ているのです。谷川ワールドに触れた最初は、高校の現代文の教科書に載っていた詩で、ひらがなだけで訥々と書かれていた単純そうなものでした。しかしながら読み込んでいくうちに心が深遠に投げ込まれていく感覚を持ち、さらりと書かれた言葉に心が震える体験をいたしました。言葉の力は凄いものだと実感した私は、美術専門の道に行く前にひたすら詩らしきものを作っていましたが、自分の納得は得られず、言葉の向こう側にある彫刻の世界に身を捧げることになりました。新聞記事より抜粋いたします。「谷川さんはなぜ詩作で自分自身を素材にしてきたのか。そう問うと、心理学者ユングの用語で、民族や人類が持つ無意識である『集合的無意識』という言葉を使ってこう説明した。『自分の中の無意識を掘り下げていくことで、集合的無意識へと達する。《私》が希薄化し、最後は消えていく』~略~地球環境の異変から国際社会での軍事的緊張関係、新型コロナウイルスによる感染拡大まで世界の動向を気にかけてきた。一方、年齢を重ねることで、死はより身近になった。同世代の友人の多くは鬼籍に入った。~略~『死は生の延長で、生と死の間には境目がない。死は人間の中に内蔵されている』この感覚こそ集合的無意識の一つなのだろう。」インタビューは現在の谷川俊太郎氏の立ち位置の在り処を示していましたが、私自身の死生観を考える上で、参考になることが多いと感じました。死を受け入れるとはどういうことか、現在の私にはまだ素直になれない我執があるのも事実です。