Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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3回目接種&東京の美術館へ…
新型コロナウイルス感染症の3回目の接種券が届いたので、1・2回目と同じ自衛隊東京大規模接種センターに予約を入れ、今日ワクチンの接種に行ってきました。前回は家内と別々の日程にして出かけたのですが、副反応の様子がわかったので、今日は家内と一緒に出かけました。以前は接種当日より寧ろ翌日に副反応があったので、今日のところは東京駅近くの美術館へ鑑賞にも出かけても大丈夫と判断しました。自衛隊東京大規模接種センターは3回目なので、流れをよく理解していました。東京駅丸の内から送迎バスに乗って、会場に到着するとすぐに受付に案内され、そのままあっという間に接種場所に通されました。12時の予約でしたが、終わったのは12時20分。拍子抜けするほど簡単でスピーディーでもありました。東京駅で昼食を取ってから、駅に隣接している三菱一号館美術館で開催している「上野リチ展」を見てきました。上野リチは本名をフェリーツェ・リックスといい、リチというのは愛称です。1893年にウィーンに生まれて、ウィーン工芸学校で学び、同校を卒業後はウィーン工房でテキスタイルを中心としたデザイナーとして働いていました。ウィーンの建築事務所に勤務していた建築家上野伊三郎と知り合い、結婚に至ります。夫妻はその後、京都に住んで、リチは京都とウイーンを往来することになり、まさに洋の東西の橋渡しをデザインを通して行う位置に置かれたのでした。私は20代の頃にウィーンにいましたが、その頃上野リチのことは全く知りませんでした。工芸学校(現在のウィーン応用芸術大学)は環状道路(リング)に面して応用芸術博物館の隣にありました。私たちの間ではクリムトが学んだ学校として知られていました。ウィーン工房は19世紀の折衷的歴史主義を克服し、20世紀に相応しい新たな美学の創造を目指していました。私の捉えとしては、ドイツのバウハウスより一時代前の革新的なデザインを担った集団ではないかと思っています。当時の建築家オットー・ワーグナーの仕事も含めて、ウィーン工房は心地よい象徴的な形態を持つスタイルだなぁと私は感じていて、20代の頃なけなしのお金を出して、ウィーン工房に関する書籍を何冊か手に入れました。今ではドイツ語で書かれた原書を読むことは出来ませんが、同美術館のアートショップでウィーン工房に関する書籍を見つけました。いずれこれを読んでいこうと思います。「上野リチ展」の詳しい感想は別の機会に改めます。