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「オーストリア近代デザイン運動の胎動」のまとめ①
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第一章 オーストリア近代デザイン運動の胎動」の前半部分をまとめます。ここでは2つの内容に絞ります。まず英国アーツ・アンド・クラフツ運動について。「アーツ・アンド・クラフツ運動の歴史はギルドの近代史だと指摘されるように、『ギルド』の形成はアーツ・アンド・クラフツ運動の主要な特徴の一つである。本来、『ギルド』とは中世ヨーロッパの商人や手工業者の特権的同業者組合を指し、商権の確保、技術の独占、技術水準の維持等を目的とした相互扶助団体として、中世後期の都市経済に大きな影響を及ぼした。近代産業の勃興に伴い衰退したギルドが、ヴィクトリア朝(1837-1900)で新たな意味合いを帯びて復活した背景には、中世の諸芸術や社会制度を理想視する『中世主義』の思想があった。~略~アシュビー(チャールズ・R・アシュビー)はギルドという手工芸のための共同体を、機械生産の場に応用することを試みた。彼にとって、ギルドの意義は教育と創造の有機的な連帯であり、それを現代に即した形態にしたものが『工房』という単位であった。また、産業界と乖離した当時のアカデミーや美術学校でのデザイン教育の問題と関わり、工房が手を使って素材の性質を学ぶ場となり、優れたデザイナーの養成につながる点も期待された。」この英国での運動がやがてウィーンにやってきます。次はウィーンへのアーツ・アンド・クラフツ運動の伝播について論じられています。「ウィーンでは1897年頃からアーツ・アンド・クラフツ運動の思想と作品が、公的機関である帝国立オーストリア芸術産業博物館、ならびにウィーン分離派という先進的な芸術家グループに受容され、そこから市民や産業界に伝播した様子が見て取れる。特に博物館四代目館長スカラ(アルトゥール・フォン・スカラ)の功績は見過ごせず、ウィーンの工芸・産業界とつながる博物館が機関誌や展覧会を通じて、イギリス工芸の最新動向を宣伝した意義は大きかったと考えられる。しかし、スカラのイギリス贔屓は、一方でウィーンの美術工芸の利益団体であるウィーン美術工芸協会の反発を招き、他方で、イギリス工芸の模倣に終始した点をウィーン分離派の芸術家たちに批判された。スカラによるイギリス工芸の促進は、イギリスを手本にオーストリア固有の様式を創造するところまで至らなかった。アーツ・アンド・クラフツ運動思想がウィーンの芸術家たちの独自の実践に結びつくのは、ウィーン分離派が自らの活動理念にその思想を吸収してからのことであった。」今回はここまでにします。