Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「発掘~崩層~」について
陶による立体部品を複数集合させて、風景を俯瞰する彫刻作品を作ろうと考えたのは20代の終わり頃で、ちょうど海外での生活を終えて帰国する時でした。ヨーロッパ文明の原点となったエーゲ海に広がる遺跡群を見て回るうちに、発掘された空間を作品として造形化できないかを思案していました。彫刻の素材として陶を選んだのは、陶土は土中で腐食しないため、出土品として多くのものが現存しているのを知ったためでした。私としては陶土を焼き締めていこうと考えていて、よく陶芸で使う釉薬は焼成実験から除いていました。複数の陶土を混合し、焼成温度を上げても、ある一定の大きさに耐えられる土質を探していました。あの頃は陶土が高温焼成で変形したり皹割れしたりして、失敗を繰り返していました。陶彫がまだ思うようにいかないうちは、とりあえず遺跡のイメージを平面作品にしていました。砂マチエールに硬化剤を混ぜて、そこに油絵の具を滲み込ませていく方法は、絵画というより壁を作っていくように陶肌を再現していくものでした。複数の陶彫部品と砂マチエールによる土台のコラボレーションはその時に思いつき、土台を大地に見立てて、そこを発掘現場として出土品が点在していく様子を表現しようと決めました。大地は不定形な景観をしていて、しかも層になっているので、新作ではそんなイメージを具現化出来ないものか考えていました。風景の象徴化は日本の庭園にも通じていて、私は亡父が営んでいた造園にも少なからず影響を受けているのかもしれません。ただし、日本庭園は樹木や自然石など、自然にあるものをそのまま使い、配置によって深い精神性を内在するものだろうと思っています。西洋彫刻の概念は全て造形によって成されていて、新作は庭園らしく見える彫刻であって、亡父が作っていた庭園とは考え方が違うと思っています。国際的彫刻家であったイサム・ノグチが、伝統を重んじる庭師と制作現場で度々ぶつかったことが、彼の伝記に書かれてありましたが、私にはよく理解できます。「発掘~崩層~」は、周囲が崩れかけた大地をもつ彫刻作品として鑑賞していただけたら幸いです。