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「第一次世界大戦下の活動」のまとめ①
「ウィーン工房」(角田朋子著 彩流社)の「第六章 第一次世界大戦下の活動」の前半部分をまとめます。第一次世界大戦が勃発し、ウィーン工房の経営がどうなったのか、本章のテーマになっています。「ウィーン工房は自社の特徴である装飾的デザインを維持したまま戦時を乗り切った。素材、人材、販路が制限された戦時下もウィーン工房が存続できた要因として、以下の二点が挙げられる。すなわち、男性不在の製作陣を支える有能な女性デザイナーの存在および体外的プロパガンダと外貨獲得のため、ウィーン工房のもつブランド・イメージを利用したい国家との結びつきである。」女性デザイナーのおかげで存続ができたと言えます。「1920年代、ウィーン工房では女性メンバーが主力製品のデザインに従事し、男性メンバーと同等に重要な役割を担った。これは、男性中心であった他の同時代のデザイン団体には見られないウィーン工房の大きな特徴であり、こうした女性メンバーの活躍の基盤は、男性メンバーが減少した第一次世界大戦中に形成された。~略~ウィーン工房では1910年代以降、1910年頃開設のテキスタイル部門、1911年開設のモード部門を中心に女性メンバーの活躍の場が広がっていた。そして、それらを超える重要な創作拠点となったのが芸術家工房である。ここでは女性が構成員の過半数を占め、1920年には23名中、19名が女性であった。」代表として4名のデザイナーが挙げられていますが、まずフェリーツェ・リックス。「リックスは日本で上野リチとして知られており、それは彼女が1925年に当時ホフマンの建築事務所に勤務していた京都出身の近代建築家上野伊三郎と結婚したことに由来する。彼女は、1926年から1930年まで日本の関西地方の近代建築運動に関わりつつ、両国を往復しながらウィーン工房の仕事を続けた。~略~ウィーン分離派は日本美術に影響を受けており、リックスのテキスタイルデザインにも、日本の着物の装飾的図案を参照したと思われる太さの異なる縞、格子、線描的な文様が見られる。」次の女性デザイナーは「芸術家工房のデザイナーの中で、同時代のキュビズム、構成主義、未来派、ロシアのレイヨニスム(光線主義)の前衛的表現に最も敏感に反応したのはマリア・リカルツである。」とあり、その他にマティルデ・フレークル、ヒルデ・イェッサーが挙げられていました。「女性メンバーのデザインに通底するのは、明るい色彩とリズミカルな細い線による、伝統、実験精神、自由な感覚性が混在する装飾性である。」モードについても触れた箇所がありました。「ウィーン工房製テキスタイルは、1910年代前半にパリのポール・ポワレにも影響を与えた。ポワレは20世紀のモードの変革者であり、1906年に女性服に不可欠とされていたコルセットを取り払った直線的シルエットのドレスを発表し、従来の規範を一変させる新しい美学を生んだことで知られる。」最後にまとめると「ウィーン工房モード部門の活動内容は、多様な装飾的なテキスタイルの使用を特徴とするドレスや小物類の生産、モード画やモード画集の印刷・出版であった。モード画は服飾の専門知識がないデザイナーも参入しやすかったことから、モード部門はテキスタイル部門とならび女性メンバーの最初の活動の場として重要な意味をもった。」とありました。今回はここまでにします。