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「岡倉天心と美術史学の形成」のまとめ②
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の第一部「美学と美術史」のうち「3 岡倉天心と美術史学の形成」について後半部分をまとめます。「天心によるわが国で最初の『美術史』である『日本美術史』が目指したものは、言うまでもなく『日本』美術史である。だがそれ以前に日本『美術史』であらねばならなかった。そこで要求されるのは、まず美術を美術たらしめる『美ノ標準』を共有することであり、美術作品を歴史的に記述するための科学的な『組織的研究方法』である。」この標準というのはフェノロサによって発見された「ギリシャ仏教美術」に端を発していました。また哲学者ヘーゲルの考え方を基に美術史の構想が成されていました。「ヘーゲル美学において『象徴的』、『古典的』、『ロマン的』の三つの概念は、芸術の歴史的な発展の原理として用いられるばかりでなく、同時に芸術の体系的な分化の原理としても用いられている。つまり『象徴的』芸術として建築、『古典的』芸術として彫刻、そして『ロマン的』芸術として絵画、音楽、詩文学が規定されている。天心の日本美術史の構想もまた、同じくこの芸術ジャンルの分化の原理によって組み立てられている。」こうした構想を天心が、イギリスのアート・アンド・クラフツ運動のウィリアム・モリスや批評家ジョン・ラスキンの思想から捉えたようで、ここでも天心の視野の広さを感じざるを得ません。「天心は旧来の画史画論の段階に留まっていた日本の美術史を、その方法論が今日的な視点から見て妥当なものであったか否かについての批判はあろうが、国際的に通用する科学の枠組みで捉え直そうと企てた最初の人物である。天心の美術史の構想は、ただ単に史実を組織的な理論にまとめ上げようとしただけのものではない。その美術史は、同時に自らが掲げた『東洋的ロマン主義』の理想へと人々を向かわしめるための理論的な裏付けという意味をも担うものであった。天心のロマン主義には、二つのロマン主義が交錯している。そのひとつは、ヘーゲル流に解釈された、物質的なものを超脱してより高い精神的な世界へ飛翔しようとする『近代的精神』として捉えられたロマン主義であり、今ひとつは、近代の芸術あるいは文化の現状を批判的に眺めることから発した、伝統への回帰を標榜する復古的ロマン主義である。」現在も脈々と受け継がれる日本の古来からの伝統が存在しているのは、美術という概念が西洋から導入された明治期に、岡倉天心やフェノロサが日本独自の文化に腰を据え、教育機関等を通じてその理論を展開してくれたおかげだろうと私は思っています。今回はここまでにします。