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東京駅の「牧歌礼賛/楽園憧憬」展
先日、東京ステーションギャラリーで開催されていた「牧歌礼賛/楽園憧憬 アンドレ・ボーシャン+藤田龍児」展に行ってきました。これは日仏2人の物故画家が会場を2分割して行なう展覧会で、2人のナイーヴ絵画を思わせる作風が交差する楽しい展示になっていました。ただし、2人の経歴を見ると、決して穏やかな画家人生を送っていたわけではないことが分かりました。図録には具体的な筆者名がなかったので、ここを省略させていただきます。まずボーシャンの解説を引用いたします。「(第一次)大戦が終結して除隊したボーシャンは、荒れ果てた農園と精神を病んだ妻という現実に直面するが、アルフォンシーヌの生まれ故郷の森の中に新居を構え、妻と二人の生活を再開する。それまでまともに絵筆を握ったこともなかったボーシャンは、測地術で得た技術を頼りに、午前中は絵画制作に没頭し、午後は自分たちで食べるための作物を育てる生活を送るようになる。」20世紀前半に生きたボーシャンは、前衛運動で混乱した美術界において秩序への回帰に、その作風が合致したようです。「丹念な筆致によって描かれた素朴な具象絵画であり、生命への歓喜にあふれ、神話や歴史などアカデミズム絵画が得意とした主題を好んで取り上げたボーシャンの作品は、この『秩序への回帰』の動向にうまく合致していたのだ。」一方、20世紀後半に生きた藤田は、画業中途で病に見舞われ、そこから作風が一変していきます。「脳血栓による治療やリハビリで藤田が制作から離れていたのは二年ほどのことで、それから絵筆を右手から左手に持ち替えて描く訓練を経て再起したのは1981年のことである。藤田は53歳になっていた。~略~前期と後期で作風が激変したようにも見えるが、その制作の底流には一貫したものがあった。それは踏みつけられても踏みつけられても逞しく茎をもたげてくるエノコログサに象徴される生命への賛美、あるいは生きることへの畏敬の念とでもいいうるものではなかったか。それは生きることの困難を身をもって知る藤田だからこそ描かれた世界であったといえよう。」図録に2人の画家を総括する文章がありました。「彼らの描く楽園は、決して安逸で穏やかな生活を送りながら描かれたものではなかった。ボーシャンも藤田も、苦境の中で楽園を夢想し、つらい過酷な状況の中から、心を癒してくれるような牧歌的な作品群を生み出していたのだ。」