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「會津八一の美学」のまとめ
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)は第一部と第二部の間にインターメッツオ(間奏曲)という洒落た章を設けています。そこで論じられているのが「會津八一の美学」です。私は會津八一は歌人として知っていましたが、美学・芸術学の先駆者の一人として存在感を示していたことをここで知りました。「近代の科学的な合理主義は、ひたすら生産の分業化と専門化を推し進めてきた。それは社会の組織、あるいは制度、そしてさらには学問そのものにも及んだのである。つまりこの狭い専門分化による非人間的な在り方を排して、全体としての人間性の完成に向かうべきであるというのが、會津の主張であり、そこにまた自らも万能人たらんことを目指した會津の原形、あるいは面目を見ることができるように思われる。」ドイツ古典主義の理想をカントを受け継ぐ形で展開したのはシラーで、その理論に合わせて會津も理念を説いています。「シラーは人間性の理想を、古代ギリシャ人を具体例として、肉体と精神のいずれにも偏らない調和的な人間の在り方に求め、これを『美しき魂』と呼んでいる。洋の東西の違いはあるが、同じく孔子は、自らが学問を志して以来、ようやく到達した人間としての自らの在り方を、同じく次のように語ったものである。『心の欲するままに従いて矩を踰えず』と。」シラーの美学は美的倫理主義、または美的道徳主義と呼ばれ、「これが、シラーのいわゆる『人間の美的教育』である。それは一言で言えば芸術教育、つまり素晴らしい芸術を観て感動する心のトレーニング、それが人間として美しく振る舞う心を養うのだということである。実は會津もまた、自分の弟子たちに盛んに『趣味の修養』を説いているのである。」奈良の古寺で見た仏像に古代ギリシャの影響を認めたのはフェノロサでしたが、和辻哲郎も「古寺巡礼」の中で、仏像をギリシャ彫刻に匹敵する傑作と評価しています。「この古都に対するわれわれの意識を最初に、宗教的礼拝から美の礼拝へと導いた、あるいはより人間的な美の世界へと開いたのが、和辻哲郎の『古寺巡礼』だったと考えられるのである。そしてこの『廃都』を、日本人の永遠の憧れの都として、自らの芸術を通じて究極の理想化を試みたのが、會津八一の『鹿鳴集』の絶唱ではなかったであろうか。~略~會津が奈良や飛鳥の古い仏たちに求めたものは、フォルムの美しさを超えた内面の精神の美にあったのである。和辻が『美しい様式』を賛美したとすれば、會津が評価したのは『崇高な様式』であったということができよう。」