Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

映画「歩いて見た世界」雑感
人生は旅だと達観したように言われるけれど、私にはその実感はありません。強いて言うならば、20代の頃に紀行作家と共にギリシャやルーマニアに行って、遊牧民の村々を歩いた期間があり、そこで創作をしながら生活が出来たら、人生はまさに旅だと私には思えたでしょう。私は30歳で帰国して公務員になり、定住して日々労働を繰り返して現在に至っています。旅の生涯というには余りにも起伏のない人生だなぁと振り返っています。ただし、感受性の高まりは彫刻制作という創作行為によって得られてきたので、内面的には旅をしてきた感覚を有しています。先日観に行った映画「歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡」は、旅人の生きざまを浮き彫りにした秀逸なドキュメンタリーでした。作家チャトウィンは49年の短い人生の中で、先史時代に興味を持って世界中を歩いて小説を残しました。映画は作家の没後30年で、親交のあった映画監督が、チャトウィンが歩いた道を辿った記録を映像化したものでした。「『放浪者という選択』は、ブルースが若い頃に委託された原稿で、歩くことや放浪に関する持論を書いたものだ。」これに対し監督が応じています。「放浪の生活が消えると、人は定住し、都市生活が主流になる。つまり人類の大部分が技術に支配される。そのせいで人類は今、崩壊しつつあると思う。ブルースは人間の脆さを知っていた。」映画の中でとりわけオーストラリアのアボリジニの生活に焦点をあてた映像に、私は心を揺り動かされました。「彼も私も、歩いて世界を旅した。ブルースは私の警句が気に入っていた。『世界は、徒歩で旅する人に、その姿を見せる』。」主人公ブルース・チャトウィンの登場しない映画は、かえって彼の存在を際立たせ、彼の考え方や詩を謳い上げていました。この映画は日本のミニシアターの草分け的な存在であった岩波ホールの最後を飾る上映作品で、私は岩波ホールにお別れを言うために足を運んだのでした。岩波ホールの54年に及ぶ旅の足跡と終点を、この映画に重ね合わせたように私には思えました。