Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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週末 墓参り&陶彫制作
昨日、菩提寺に墓参りに行こうとしたのですが、台風接近のため激しく雨が降る時があって、墓参りを今日にしました。お盆休みは何のためにあるのかと言えば、先祖への供養のためにあるので、私は最低ラインの宗教行事には関わっているつもりです。今ではその時期になると墓参りをしようという気持ちになるので、私の中では大いに進歩したと思っているのです。私は若い頃から墓に行くことは大嫌いで、両親の誘いを何かに託けて断ってきたのでした。辛気臭い仏教の説法など聞いていられないと当時は思っていましたが、父が亡くなった頃から心境に変化が起きました。菩提寺に行くと清々しい気分になるのはどうしたものだろうと思っていて、自分の死生観に何かしら変貌を齎す動機があったのかもしれません。今日の午後は陶彫制作をやっていました。ひょっとして墓参りは心の拠り所を求めてやっている行事かもしれず、創作活動も心のありようは同じなのではないかと思いました。心身の安寧を求めているという視点からすれば、宗教も芸術も出所は一緒なのでしょう。私が辿り着いた死生観からすれば、墓参りは先祖の弔いのために行くのではなく、究極を言えば私たち生きる者が生命の謳歌のために墓前に出かけるもので、限りある人生の充実を誓うものであると考えます。芸術も生きようとする私たちが現時点の生きがいを確認するためにやっているものだろうと思っています。まだ何ものにもなっていない土くれが、私の手を通じてカタチが出来始め、私の無我夢中の意欲によって魂が与えられていくのです。小手先では作品に命を吹き込むことは出来ず、気持ちが緩慢なら退屈な作品しか出来ません。そこは本当に正直なもので、私の良いところも悪しきところも全て作品に反映してしまうのです。良きところは個性として映り、悪しきところは癖として映ります。そんな創作活動は明日も継続です。