Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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竹橋の「ゲルハルト・リヒター展」
新型コロナウイルス感染症の高止まりの影響で、私は今夏の旅行も諦めています。コロナ禍前は夏季休暇に毎年海外旅行に出かけていました。その頃は校長職との二足の草鞋生活で、どうしても気持ちを切り替えたいという意思がありました。今年は2日続きで美術館へ出かけ、展覧会を渡り歩いて、休暇気分を味わうことにしました。昨日の横須賀美術館での仏像鑑賞に続いて、今日は東京竹橋にある東京国立近代美術館での現代アートの鑑賞に時間を費やしました。ドイツ人現代アーティストのゲルハルト・リヒターは現在90歳ですが、今も存命の巨匠です。まとまってリヒターの世界に触れるのは、私には初めてのことで、今日はリヒターの造形思考を充分堪能してきました。リヒターは絵画という媒体に拘り続けた芸術家だろうと思います。それでも油彩、写真、デジタルプリント、ガラス、鏡などの多義にわたる素材を使い、視覚に関する極めて単純なものから民族的な主題まで網羅しているように私には思えました。今回来日している作品は、作風がシリーズとしてのまとまりがあって、造形的説得力のある空間が広がっていました。シリーズ化された作品が部屋ごとに分かれていた展示の方法も明快で、リヒターの考え方の変遷を辿るのに役立っていました。私の個人的な経験でも現代アートとなると、難解な思想に裏付けられた哲学を紐解くことになり、とりわけインスタレーションの場合は、眼の前に広がる状況を通じて芸術家が何を主張しているのか、自分なりに考えてみることをやっています。同じドイツ人の現代アーティストであるヨーゼフ・ボイスの場合は、眼前に置かれたモノから何かを読み解かないとならないと思っていました。リヒターはある意味では分かり易く、また馴染み易い状況が見て取れました。絵画という表現範疇から作品が外れていないためでしょうか。今回展示の主流になっていたアブストラクト・ペインティングに関しては、もう少し図録を読み解いてみようと思っていて、これについての別稿を起こします。