Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「事件から歴史へ」について
「絵画の黄昏ーエドゥアール・マネの闘争ー」(稲賀繁美著 名古屋大学出版会)は副題を「エドゥアール・マネ没後の闘争」としています。その「第2章 死亡記事の闘い」の「3 事件から歴史へ」についてまとめます。「一方で、マネが金銭上の心配なく藝術の探求に努めえたのは、ブルジョア的な生活のゆとりゆえに他ならない。そしてもう一方で、彼の公的地位の向上は両刃の剣だった。つまりマネがあれほどまでに熱望していたレジォン・ドヌール勲章は『公式絵画』のみならず、『印象派の画家たち』からみても、一つの『スキャンダル』たり得たからである。『勲章好き』になり果てたマネは『ポンピエ』、『学士院の俗物』、そしてさらには『敵方に寝返った不実の友』とまでーそれもご丁寧にほかならぬその当の『敵方』からーこき下ろされたのである。」これは在野であった画家が権威に寝返ったと言われても仕方がない事件だったようです。「柩を覆った今はもはや『ふたたび情熱をたぎらす時』ではなく、『毀誉褒貶の議論』を越え、『大袈裟な賛辞や激高した非難』を越えた地点に、『マネの作品の哲学を掘り起こし』その『真実』を求めようとする雰囲気が当時醸しだされようとしていたことは否定できまい。そうした雰囲気を醸成すること自体が現実に働きかけ、没後のマネ評価を肯定的な方向へと誘導する役割を積極的に担い得たこともまた否定できない。」「マネの死後の歴史の中で、この『真実』なるものはいったいどのようにして生み出され、社会的に認知されてゆくのだろうか。本来の『権利を回復することとなる』と言われる、問題のこの『真実』はいかなる仕組みでその『必然性』を帯びてゆくのか。1884年から20世紀初頭に至るまでの、マネをめぐる歴史上の『真実』形成と、マネを『近代絵画』の英雄として要請することになる一種神話的と言って語弊のない構造の浮上とは、相互にどのように結託し合っていたのだろうか。マネが『最高の位置』を『摑み取る』のがあくまで、1883年の死の後であるならば、その地位はいったいいかにして『摑み取』られていったのだろうか。」今回はここまでにします。